作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
by violink
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2つの問いかけ

人間には一人一人の異なるキャラクターを持っていますよね。日常生活は、そのキャラクターから出てくる言葉・行動がその人なりの味となって、存在感を作っていると思います。同じ人が楽器を弾くときはどうでしょうか? 楽器を弾くというのは、僕は非日常の行為だと考えています。尤も、日常的に弾く人はいらっしゃると思いますが、行為としては日常的なものではないと思うんですね。

というのは、楽器を弾くときに自分が纏っているキャラクターは、自分自身のそれとは同一ではないからです。第一に、表現手段が自分のものではありません。楽器から音を出しています。第二に、表現する内容が自分からそもそも発せられたものではありません。作曲家の作品です。

こういうわけで、表現しようとするときに、直ちに2つの違和感があるわけですね。自分の中から生まれた感情を自分の声で表現するのに比べると、どうしてもある種の「ぎこちなさ」を感じざるを得ないわけです。

逆に、この「ぎこちなさ」を可視化するというか、感じ取れることが出発点なのだと、僕は考えています。この「ぎこちなさ」の感覚から、「どうやって?」と「何を?」の問いかけが生まれるからで、この問いかけにどう答えるかが、要するに、その人が楽器を通じて行う表現に他ならないわけですね。

これらの2つの問いに如何に誠実に答えようとするか、その態度そのものが、その人の演奏の価値を決めると言っても過言ではないと、僕は思います。そこに、テクニックの巧拙ということでは割り切れない部分が生じます。逆に、歌心だけでも割り切れない部分が厳にあります。

いわゆる巨匠というのは、この両面を極めて、しかも、楽器をいとおしみ、作品を敬愛するレベルに達した人たちを指すのではないでしょうか。僕は、あくまでこの2つの問いかけの延長上に、巨匠というレベルもまた存在すると思います。

今回は、いささか哲学めいてしまいましたが、何か感じ取っていただけるものがあれば、嬉しいですね。
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- Giovanni Battista Rogeri 16?? -
by violink | 2006-01-17 06:02 | Performance
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