作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
by violink
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表現の形骸化

よく言われることですが、日本語の「ごめんなさい」は英語のI'm sorry.とかI apologize ...とは違うといいますね。日本語の場合、そのような言葉を発したことで、反省の姿勢をみせることになり、反省された方は水に流す、という筋書きが出来上がっているようです。そんな中で、生活のシーンには、「ごめんなさい」と言わないと収まりが悪いが、言いさえすればOKと思しきシーンが山ほどあります。逆に、言われた方が煮え切らないでいると、「だから、謝っているじゃないか」と、立場が逆転しかねない場合もありますね。

これは一例に過ぎず、言葉の世界では表現が独り歩きし、いわば手続きのように、「失礼しました」とか「ありがとうございます」とか、まるで自動応答のように使ってそれで双方が済ませているケースが多くなっているとも言えます。それだけ、個々の表現のニュアンスが軽視されているというか、気にされない世の中なのでしょう。

音楽の世界でも、表現ということに関して似たようなことが起こりかねないと、僕は考えています。ルバートをしているのに、その意味がこもっていないとか、ピアニッシモのところなのに、なぜかヴィブラートを目いっぱいかけているとか、例はいくらでもあると思います。

表現のニュアンスを意識せずに表現手段を使ってしまうと、何となく表現されているような雰囲気にはなりますが、その表現を行う意図が聴いている人に決して伝わらず、むしろ違和感を感じさせてしまうことになると思います。逆に、自分が無意識に「表現」してしまっている箇所があれば、これを一旦「無表情」の世界に引き戻してから、表現の仕方を見直してみると、かなり改善される場合もあると思いますね。
by violink | 2006-02-26 05:17 | Expression
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