作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
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カテゴリ:Expression( 31 )

歌うためのコツ

最近、自分の練習と演奏の方が中心となり、このブログの更新もほとんどゼロに近い状況が続いていますが、この間にも多いときには1日に100アクセスくらいいただいており、ありがとうございます。

さて、人の演奏について、あなたはよく歌っているいるとか、もっと歌った方がいいという言い方を耳にすることがあります。どうすれば歌う演奏になるのでしょうか。すぐに思い付くこととしては、ヴィブラートとかルバートとかダイナミクスとか、音楽を奏でる上で考えるべきことがありますね。音程の明るさ暗さということもあります。

ただし、より表現に直接関わる要素があと2つはあると私は思っています。1つは音の変わるタイミングであり、もう1つは音の立ち上げ方です。

音の変わるタイミングについては、特に旋律の最初の音の入るタイミングが大事ですね。インテンポでここというビートの位置から、敢えてごく少しだけ前か後ろにタイミングを外すことが、その旋律の表情につながります。旋律の中にある音でも同じようなことはありますが、こちらは広くはルバートに含まれるかと思います。

音の立ち上げ方については、弾き出した時に音をきちんと立ち上げることが基本で、そうしないと楽器がきちんと鳴ってくれませんが、その弾き出しの音を階段に例えるならば、段の高さの違いによって音の表情は様々ですね。きちんと段になっている(坂ではなく)ことが大事ですが、その高さをいろいろ工夫することが表現の違いにつながりますね。奏法的には、弓と弦の接触点と駒との距離のコントロールに関係します。

特に、旋律の中にある音をスラーで弾いているときに、その音を際立たせることができると、旋律の表情が大きく変わってきますが、これにはヴィブラートの助けを借りる必要が出てきますね。
by violink | 2016-09-18 07:17 | Expression | Comments(0)

インテンポの中での揺らぎ

テンポと言えば、楽譜に指定されているテンポのことですね。速度標語であることもあれば、音符当たりの数字(1分間にその音符がいくつ入るか)であることもあります。

例えば、8小節間のフレーズが目の前にあるとして、これを厳密にインテンポで弾くとどうなるでしょう。そもそもテンポ設定が速い場合や、細かい音符が続く場合は、むしろ厳密にインテンポで弾く必要がありますが、逆に、ゆったりとしたフレーズでは、インテンポの中でのテンポの揺らぎがあって、初めて音楽らしくなってきます。

これは、例えば2拍とか3拍とか、そのフレーズを構成している小さなパーツ毎に微妙にテンポを揺らしているためですね。音から音に移るタイミングや、最初の音を弾き出すタイミングを多少インテンポより前後させることで、同じフレーズでも、いろいろなニュアンスを帯びてきます。

そのような微細なテンポの調節によって、同じフレーズでありながら、素っ気なくもなれば色彩豊かなものにもなります。いろいろ工夫してみると楽しいですね。

なお、同様のことは、テンポだけでなくダイナミクスについても言えると思いますが、ダイナミクスについては、別の機会にしたいと思います。
by violink | 2011-01-12 12:41 | Expression | Comments(0)

テンポの揺らし方

表情を込めようとするときに、テンポを揺らしますよね。でも、揺らしてみると、結構、前後関係がいびつになったり、大げさになり過ぎたりして、上手くいかないことが多いですね。

そこで、僕は発想を変えてみることにしました。テンポを「揺らす」のではなく、テンポを「つなぐ」という感じ方です。一つの曲の中で、音楽は様々な表情を見せてくれます。そして、その表情と表情とが自然につながる、とか、突然変わるとか、そういうことがきちんと聞こえることが、音楽全体の表情を聞かせることにつながるのだと思います。

一つ一つの箇所への思いを掘り下げていって、それが具体的な音やテンポのイメージになるところまで来ると、後は、一つ一つの表現のブロックをつなぎ合わせる作業になってくるのだと思います。そのつなぎの作業の中で、いろいろな試行錯誤をしてみると、どこかでピタッと来るつなぎ方が閃くはずです。

この作業が最高に楽しい。。。音楽は、演奏することも楽しいのですが、演奏する前に、自分の中で音楽を組み立てる作業、試行錯誤というか推敲というか、その「実験」は、本番の何倍も楽しいのです。自分の中で一つの作品を理解しようとする試み、それ自体が、僕が音楽に関わっている目的になっています。人前で実際に楽器を演奏するのは、そのカケラを披露することでしかなく、また、時間もあっという間に過ぎてしまうので、聴いている人は損をした気分になるのではないでしょうか。(笑)
by violink | 2006-07-09 10:00 | Expression | Comments(0)

テンポ・コントロールのコツ

さて、この直前にアップしたメモの話の続きです。

そうは言っても、テンポも露骨に変えるわけには行きません。せっかく小回りの利くアプローチなのですから、そこは工夫が必要だと思います。

テンポのコントロールでは、なにしろ、カウントする単位が重要だと思っています。メトロノーム上でいくつ、ということは置いておくとして、同じテンポでも四分音符で数えるか、十六分音符で数えるかで、やはり微妙にテンポ感が違ってきます。

例えば、ブラームスの交響曲第2番第1楽章のエンディングの部分、ホルンの旋律と弦のピチカートですね。この2つの動きを微妙に異なるテンポ感で処理したいと思います。とは言っても、基本、一緒に演奏しているわけですから、噛み合わないと話になりませんね。

そこでカウントする単位で工夫するわけです。ホルンは1小節1カウント、弦は八分音符1カウント、これで自然に出てくるテンポのニュアンスの違いが欲しいのですね。全体を一緒に聴いている側にいると、ゆったりしたテンポとサクサク進むテンポが交互に出てくるような、それでいて、流れは一定であるような、そんな聞こえ方を目指したいものです。

まあ、今回のお話は、何も目新しいこともないのですが、余りに平凡で立体感のない演奏を改善しようとするときのきっかけになるポイントだったりしますので、敢えて取り上げてみました。
by violink | 2006-06-04 22:25 | Expression | Comments(0)

音楽の味付けとテンポ

インテンポと聞くと、まず、同じテンポを保つことを考えますね。逆にインテンポでないとは、楽譜に異なる速度標記がしてあったり、アッチェレやリットが出てくるところだと思います。

さて、テンポの揺らぎということを考えてみると、楽譜に書くほどのことでもなく(=書いていてはキリがなく)、また、そうだからと言って、いわゆる「インテンポ」とも違うということだと思います。

楽譜に書かれず、しかも、いわゆる「インテンポ」でない、中間のテンポ・コントロールというものが、音楽の味付けの上で、とても大きな意味を持っているということを、最近、感じています。

これは、テンポという言い方もできますし、もう少し細かく、それぞれの音の入るタイミング、次の音に移るタイミングという言い方もできると思います。

音量や音色によってつく表情も確かにあるのですが、これらはいわば基本的な味付けの部分なので、小回りが利かないというか、音量や音色をいじってしまうと、それこそ、味付けが大きく変わってきます。

テンポの微妙なコントロールに気を使うことで、その小回りが利いて、微妙なニュアンスが表現できるように思います。

例えば、先日のメモで取り上げたブラームスの交響曲第4番の第1楽章ですが、冒頭のバイオリンに出てくるHG、EC、AFis、DisHという動き一つをとってみても、下行と上行の2つの音の動き方を別々に意識してみると、うねりのようなものを上手く表現できると思うんですね。

こういうことを、音の小さな塊、大きな塊、というようなそれぞれの単位で「実験」してみることで、立体的な構造が表現しやすくなると思います。

今後、いちいちこのブログに書きませんが、個人的には、このようなアプローチでいろいろなシンフォニーを捉え直してみて、何れは、どこかのアマチュア・オケで、下振りや分奏の一歩手前の段階で、実験をさせてもらえないかな。。。と、秘かに夢見る今日この頃です。全然、秘かじゃありませんが。。。(笑)
by violink | 2006-06-04 12:54 | Expression | Comments(1)

調性の変化

調性の変化とは、つまり転調ということですが、ひとことで転調と割り切れない世界が、ここにはあると思います。

日本語で「転ぶ」というと、「転ぶ前の状態」→「転んだ後の状態」と一足飛びに行くわけですが、転調というのは、そういう「転」のニュアンスでは、必ずしもないんですね。

もちろん、小節線をまたいで調性が変わる(=譜面上も、実際上も)ということは、普通にいろいろあります。しかし、それだけではなくて、前の調性と後ろの調性が一時期重なり合っているような場合もありますし、前の調性から後ろの調性がセオリー通りの分かりやすい場合もあれば、どうしてこの調性からあの調性へ? というような奇抜なものもあります。

こういう奇抜な転調の例は、プロコフィエフの作品などでよくみられるものですね。奇抜な転調は、セオリー通りに行かないところにある種のエネルギーを感じますし、そういうエネルギーを使って転調させている、というような、いわば「力ずく」というニュアンスが欲しいところです。

転調を巡る表現の仕方は、どの調性からどの調性への転調であるか、特に、それがセオリー通りの転調か、いささか奇抜な転調かによって、表現の仕方自体が変わってくると思いますね。
by violink | 2006-03-30 13:36 | Expression | Comments(2)

音楽表現のイメージ

表現というものは、表現する人がいて、表現したいという欲求があって、表現されて、それを受け取る人がいて、初めて成立するものですね。表現する人、表現を受け取る人の、少なくとも2人以上の人間が関わる行為だと言えます。

人が違うと何かと違いますよね。同じ言葉を使っても、同じ風景を見ても、同じものを食べても、全く同じ受け取り方をすることは皆無ですね。それには、性格の違いもあるでしょうし、生きてきた環境、経験の違いもあるでしょう。

そういう中で、音楽を使って自分が表現したいと思うことを、ピンポイントで伝えるのは、ほとんど不可能ではないかと思っています。そして、自分が表現したいことに近いものを相手が受け取ってくれるかどうか、ということが次に来ますね。

優れた芸術作品は、音楽であれ絵画であれ、多くの人を魅了するものです。それは、音楽の巨匠、絵画の巨匠の表現した世界が、人生経験その他いろいろな違いのある人々からみて、人によって違うとしても、何らかの感銘を受けるだけの広さ、深さ(=異なる立場からみても感銘を受けるような)を、その作品が持っているからだと思います。

さて、次元はずっと低くなりますが、僕たちが音で表現するという場合でも、やはり、表現の背景に持つ世界は出来るだけ広く持っておきたい。作曲家が楽譜を通して表現しようとしたことを、楽譜から読み取るというより、楽譜を介して垣間見るというような、そういうイメージで作品と向き合いたいと思うこの頃です。

そういう目線でいろいろな演奏を聴いてみると、音としての処理の仕方は違っていても、背後にある世界は共通しているな、と思える演奏が随分あるものです。音を通じて直接感じ取れる部分と、音から察して間接的に感じ取れる部分との振り分けが、演奏家によって違うということなのではないかと思っています。
by violink | 2006-03-03 06:40 | Expression | Comments(0)

表現の形骸化

よく言われることですが、日本語の「ごめんなさい」は英語のI'm sorry.とかI apologize ...とは違うといいますね。日本語の場合、そのような言葉を発したことで、反省の姿勢をみせることになり、反省された方は水に流す、という筋書きが出来上がっているようです。そんな中で、生活のシーンには、「ごめんなさい」と言わないと収まりが悪いが、言いさえすればOKと思しきシーンが山ほどあります。逆に、言われた方が煮え切らないでいると、「だから、謝っているじゃないか」と、立場が逆転しかねない場合もありますね。

これは一例に過ぎず、言葉の世界では表現が独り歩きし、いわば手続きのように、「失礼しました」とか「ありがとうございます」とか、まるで自動応答のように使ってそれで双方が済ませているケースが多くなっているとも言えます。それだけ、個々の表現のニュアンスが軽視されているというか、気にされない世の中なのでしょう。

音楽の世界でも、表現ということに関して似たようなことが起こりかねないと、僕は考えています。ルバートをしているのに、その意味がこもっていないとか、ピアニッシモのところなのに、なぜかヴィブラートを目いっぱいかけているとか、例はいくらでもあると思います。

表現のニュアンスを意識せずに表現手段を使ってしまうと、何となく表現されているような雰囲気にはなりますが、その表現を行う意図が聴いている人に決して伝わらず、むしろ違和感を感じさせてしまうことになると思います。逆に、自分が無意識に「表現」してしまっている箇所があれば、これを一旦「無表情」の世界に引き戻してから、表現の仕方を見直してみると、かなり改善される場合もあると思いますね。
by violink | 2006-02-26 05:17 | Expression | Comments(0)

自然なルバートとは

メロディーに表情をつけようとするとき、ルバートをしてテンポを多少伸縮させることがありますね。それによって、演奏にある表情が加わるのは確かですが、その表情が加わることによって、もとの表情が損なわれてしまっては、本末転倒だと思っています。

もとの表情とは、端的には、メロディーのもともとのリズムのことです。ルバートが上手く行っている演奏は、ルバート後の演奏を聞いても、もともとのリズムが分かると思います。それが分からなくなっているとすれば、そのルバートによってメロディーのもともとのリズムの関係が崩れてしまっているのだと思います。

ただし、これはルバートはほどほどに、ということを言っているわけではありません。やりすぎと同様、やらなさすぎもリズムが歪んで聞こえるものです。僕が最近感じたケースは、ベルリオーズの幻想交響曲の第2楽章の主題です。アルファベットの羅列で読みにくくて済みませんが、

CisH, AGisAHCisDEFFis, GisAGisHAGisFis, FisDCisCisHHAGisA, HAisHEDisECisDCisH, AGisAHCisDEDisEFisGGis, [AGisACisHAGisFis], FisDCisCisHHAGisA, HAisHEDisEA (臨時記号が多少違っているかも知れません。)

この[ ]内は多少テンポが緩んでいきますが、この緩み方が中途半端だと、次のFisから始まるフレーズのインパクトが小さくなってしまいます。このインパクトをきちんと出すためには、ある程度しっかりと緩めて丁度いい、ということが、この箇所についてはあると思います。尤も、この形は後でも出てきて、そのときにより大きなインパクトを持たせようとすれば、ここは比較的穏やかなインパクトに留めるのがよいとは思いますが。(それにしても、アルファベットは読みにくいですね。すみません。どこのことを書いたか、お分かりになるでしょうか。。。)

要は、ルバートは、メロディーがもともと持っているリズム関係を生かした形でルバートすることで、表現として生きてくるということが言いたかったんですね。
by violink | 2006-02-21 18:51 | Expression | Comments(0)

仮説と検証

楽器を弾くときに、表現ということを掘り下げれば掘り下げるほど、楽譜に書かれている情報と、自分が表現すべきこととの間に大きなギャップがあることに気づきます。「すべて楽譜に書いてあるからそれを表現しさえすればよい」とは、よく言われますし、僕も基本的にそのとおりだと思いますが、それでも、このギャップの存在は明らかだと思います。

同じ文学作品を自分で音読するときと朗読を聴くときとで、込められているニュアンスが相当違うのも、似た例だと思いますね。文章に書かれていることは、ある意味では楽譜よりも単純で、そこには文字と句読点しかありません。そこに何を付け加えて朗読者は朗読するのでしょうか。

それは、作者が文章に込めようとしたニュアンスを自分なりに汲み取り、それを表現しているのでしょう。音楽表現もその点は基本的に同じだと思いますね。

さて、それでは、作曲家の意図をどのように汲み取るか。その意図には、音符単位の細かいものからフレーズ、楽章、曲そのものに至るまでの、場合によっては複数の曲のセットにまで拡大できるような、様々なレベルの意図が存在すると思います。

これを表現しようとすると、様々な表現の可能性の中からスクリーニングを行って、よりよい表現を選び出していくという作業が必要になります。いわば、仮説を立ててそれを検証し、検証結果が好ましいものを選んでいく作業と似ていると思います。

ただし、物理的に可能な表現のオプションをすべて試すには、時間がいくらあっても足りませんし、試した上でスクリーニングを行うためには、判断基準というものが必要ですね。

そこで、作曲家のクセというかキャラクターというか、そういうものを感じ取るセンスが重要になってくると思います。基本的には、漠然とは誰でも持っているセンスだと思いますね。プロコフィエフの作品を聴いて、モーツァルトの作品だと思う人は恐らくいないはずです。

ただし、この二人の作曲家(極端な例示ですが)のキャラクターがどう違うから間違いようがないのでしょうか。それは、比較によるのではなく、それぞれのキャラクターを自分なりにつかんでいて、相手のキャラクターがそれとは違うからだと思います。

作曲家のキャラクターを、小から大へ、大から小へと、自分なりにイメージとして持つようにすることで、先ほど述べた仮設と検証の作業は、驚くほど効率的になります。(というより、このイメージがないと、表現に辿りつきさえしないのです。)

人からもらったメールや手紙を読むとき、何故か、その人の声で読んでいませんか? それに似たことが楽譜を読むときにもあるのだと思います。少なくとも、そのような認識を持って楽譜に向かう、というイメージ作りから始めてみるのもいいと思いますね。
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- Bartolomeo Giuseppe Guarneri 1741 "Vieuxtemps" -
by violink | 2006-01-19 11:28 | Expression | Comments(4)