作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
by violink
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カテゴリ:Expression( 31 )

言葉のニュアンスを音に込めたい(続編)

言葉のニュアンスというと、もう一つ、一文の中でのニュアンスの変化ということがありますね。例えば、「彼女の嬉しそうな顔といったら。。。それはもう、なんと言うか。。。」というフレーズを思い浮かべてみます。表情豊かに話そうとすれば、「嬉しそう」とか「それはもう」というパーツのところに思いがこもりますよね。

音楽でも、一つのフレーズの中でのうねりのような、ニュアンスの交替がありますね。これは、この直前のブログに書いたことよりもミクロなことです。それでいながら、一音単位でアクセントをつけるという細かい話よりは、もう少し大づかみな話です。

言い換えれば、細かいニュアンスと大きいニュアンスは、比較的認識されやすいのですが、その中間となると、せいぜい、小さなクレッシェンドやディミヌエンドのことが指摘される程度で、それ以上の多様なニュアンスには入り込まないことが多いと思います。

それはそれで無理もなく、このような中間のニュアンスは、楽譜には書かれていないだけに、どうするかは弾く人のセンス次第というところがあります。また、例えば指揮者などが一々言葉で示すのもぎこちないので、そういう意味でも、弾く人次第ということだと思います。

しかし、言葉のニュアンスからイメージしていくことで、難なくできるアプローチなのだと思います。それで、「準備運動」としては、言葉も、普段何気なく話しているときには出て来ないニュアンスがあるので、これを、意識的にニュアンスを込めるようにしてみることですね。言葉を話すときのニュアンスを多様にする(実際に日常生活の中でそう話すかどうかはともかく。)ことで、音楽と向き合ったときに感じ取れるニュアンスも多様化するのだと、僕は考えています。

表情豊かな演奏、その人なりの表情が、どことなく漂う演奏を、僕も目指しているところです。
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- Leandro Bisiach I 19?? -
by violink | 2006-01-12 12:06 | Expression

言葉のニュアンスを音に込めたい

言葉でもそうですが、音楽でも「遠回りに言う」とか「強調する」とかいうニュアンスが込められている場合があります。ただし、どこがそれであるかは、弾く人自身のセンスを頼りに探し出すしかありません。人によって感じ方が違う場合も、当然あるでしょう。

さて、ここで、「遠回しに言う」ことと「強調する」ことは、ある意味で対極にあることで、メッセージとしてどちらが強いのかと言えば、ケースバイケースなのでしょうが、少なくとも表面上は、前者はメッセージが弱く、後者は強いと言うことができるでしょう。

このようなニュアンスを表現しようとするとき、手近なところでは、例えば、ダイナミクスの工夫や、アタックをつけるという工夫が思い付きます。しかし、本当はダイナミクスやアタックというもののねらい自体が重要だと思うんですね。

それは、一音一音のクリアさのコントロールです。左手の指の置き方、右手の弓の弾く位置などを工夫して、いろいろ組み合わせてみると、同じダイナミクスであってもアタックであっても、音のクリアさということに関しては、更にコントロールする余地があることに気づくと思います。

更に言えば、ダイナミクスが表現されている、というように聴き手が感じるのは、実際の音量以上に、音のクリアさの程度を聞き分けているのではないでしょうか。

一つ一つのフレーズから自分なりのイメージをつかんで、それを言葉を話すようなつもりになって弾きさえすれば、この辺のことは理解しやすいと思いますね。

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- Giuseppe Pedrazzini 1911 -
by violink | 2006-01-11 07:53 | Expression

表現方法 vs 表現したいこと

表現の仕方を学んで、それを自分で出来るようにする。。。というのは、この世界の常道ですが、僕は、表現の仕方を学ぶ前のステップがあると思うんですね。

それは、僕は、(専門家ではありませんが、)ワイン作りにも似たようなものだと思っています。材料(ブドウ)は同じでも、出来上がったワインの味わいは千差万別ですよね。土壌のような自然条件による部分もあれば、醸造方法という技術的な部分もあって、それらをどう組み合わせるかは、おそらく醸造家の哲学によるのでしょう。

何れにせよ、そういうわけで、どのようなワインを目指すのか、ということ自体が醸造家によって違うということだと思います。そして、その仕上がった後の姿を味わって、皆さん楽しんでいるわけです。あまりオーダーメードという話も聞きませんし。

人それぞれ味の好みがあるでしょうし、誰かに贈るとすれば贈る相手の好みも考えるでしょう。様々な数え切れない種類の個性を持ったワインが世の中で誰かに飲まれているのですね。そこには、まず表現ありき(=飲む人の好みに合わせるというのではなく)という精神があるような気がします。

話が随分遠回りをしてしまいましたが、要は、楽器の演奏でも、同じようなアプローチがあってよいのではないのかと思うんですね。もちろん、私はワインに詳しいわけではないので、私がアナロジーで捉えていることが、実際にどうなのかは分からないのですが、言いたかったことは、何を表現したいか→どうすればそれを表現できるか、という順序でアプローチすることに意味があるのではないか、ということなんですね。

このアプローチは、楽器を弾く方でなくてもおそらく出来るし、また、現にやっている方もおられると思います。楽器を弾く方でも、まず、何を表現するか、というところから入っていくことで、自分の演奏はもちろんですが、人の演奏を鑑賞するときの感動(あるいは失望)の度合いも、一際ではないかなと。そして、それは広い意味で音楽を味わう機会の充実につながるのではないかな。。。とまあ、思うわけですね。
by violink | 2005-12-11 22:49 | Expression

自由と規律

クラシック音楽の音楽表現は、ジャズのようなアドリブではなく、楽譜に示された一定のルールに従うことが求められていますよね。その一定のルールの中で、如何に表現していくかというのが「腕の見せ所」という言い方もできるでしょう。

視覚上の錯覚として、二本の同じ長さの線の一方が他方より長く見えたり、平行な2本の線がゆがんで見えたり、ということは、誰でも経験したことがあると思います。

クラシック音楽の表現は、いわばその逆のアプローチであるように、僕には思えます。つまり、ゆがんだ2本の線なのに平行に見える、でも、直線が2本並んでいるのとは何かが違う、という感じでしょうか。

もちろん、ゆがみが極端になれば、とても平行な2本線には見えないので、どうゆがみを入れるかが重要になってくるのですね。程度問題とも言えますが、ある意味でその人にとって必然的なゆがみ、というところがより近いイメージかなと思います。

そのバランス感覚というのか、自分としては最大限表現しているが、一定のルールの中にきちんと収まっている、というのが、一つのゴールなのかなと思っています。

そういう演奏がいつでも出来るようになりたいものです。。。
by violink | 2005-10-18 20:41 | Expression

ダイナミック・レンジを広げるには

ダイナミック・レンジというと、音量の大小という連想をする人が多いと思います。しかし、ダイナミックであること、すなわち、音量が大きいことではないですね。音量が小さくてもダイナミックな音って、あると思うんですね。

バイオリンは小さな箱を鳴らしているので、音量を追求してもたかが知れています。その中で、どこまで大胆に力強い表現をしていくか。。。そこで、ダイナミックな音を追求していくことになります。一言で言えば、音の雰囲気の「差」でしょうか。

自分の演奏を録音して聞いてみるとよく思うことなのですが、ピアニッシモがピアニッシモらしくないとか、フォルテとピアノの差がついていないということがよくあります。そんなときに、巨匠と言われる人の演奏を聴いてみると、自分が思っていたほど激しいフォルテではないのに、確かにフォルテらしい力強い表現になっている、、、と感じることがよくあります。

何が違うのかと言えば、それはピアニッシモの響きの違いなのだと思います。楽器がきちんと鳴っていてしかも静かな音である、というのが、僕なりのピアニッシモの捉え方です。静かな音としてきちんと聞こえることが重要で、これが疎かになりやすいと思うんですね。

逆に、楽器がきちんと鳴ってきて、どこまで静かさを聞かせられるかを研究してみると、案外、自分の耳元では落としすぎと思うような音でも、実はきちんと聞こえている、という経験が増えてくると思います。そうなると、静かなニュアンスが表現できる分だけ、そうでない音のニュアンスとの差が付きやすくなるんだと思いますね。

。。。というわけで、ダイナミック・レンジを広げるには、音量ということではなく、音のニュアンスを広げるという捉え方がよいように思うんですね。
by violink | 2005-10-05 18:59 | Expression

感覚を磨く

バイオリンの音は、複雑な要素が絡まって出てくるものですので、変幻自在というか、多種多様というか、そういう面白さがあると思います。それにテンポ、ダイナミクス、などの条件も加わってくるので、一つの音が弾き出されるとき、その音の出方のパターンは大変な数になると思います。

とまあ、理屈で攻めていくと、変数が何個あって、その組合わせがどうとかこうとか、そういう説明もできると思いますが、実は、このアプローチは「空中分解」するおそれがあると思います。

一つ一つの要素に分解して、それを緻密に調整しようとすると、全体の調和が損なわれたり、ある要素が極端になり、聞いていて不自然な演奏にもなりかねません。そうなると、そもそも、何を表現したくて弾いているのか、聞いている側には上手く伝わっていかないと思います。

そこで「感覚」の登場です。頭で考えると七面倒くさいはずのことが、感覚で処理することでむしろ自然に楽にできることがあるんですね。特に音楽の場合は、聞く側の心に届くかどうかが勝負ですので、自ずから、感覚に基づくアプローチが有効なのだと思います。

さて、感覚というものは誰でも持っているものです。しかし、人によって感覚は違いますし、それこそが演奏を面白くしているのだと、僕は思います。

大切なことは、感覚的な部分を自分できちんと意識することで、自分がどういう感覚の持ち主なのかを自覚して、それを音にしていく作業だと思います。自分の感覚で演奏したものが、聞いている側にもそういうものとして伝わるためには、そういうことが必要だと思うんですね。

その意識化の作業のことを、今回は「感覚を磨く」と表現しました。磨き方は人それぞれでしょうが、要は、自分という人間が、外側から受ける情報・刺激などに対して、どんな反応をする人間なのか、ということをきちんと自覚しているということが基本で、それは、何もバイオリンの演奏という次元ではなく、人としての生き方そのものの話なのだと思います。

そこから始まって、根を広げ、枝葉を広げて、自分の感覚を音で表現するということに結びついていくのだと思います。

そこで、日常生活の中での様々な体験が、ひいては音楽表現にも結びついていくと僕は考えています。人それぞれ違う生活体験を持ち、同じ体験から受け取るメッセージも違い、周囲の人に対するアプローチの仕方も違う。。。そういうこともあって、音楽表現はその人なりの複雑な要素を内包したものになるはずですね。

自分が今この瞬間している体験が、どのように自分の音楽表現に結びついていくのか、、、なんて考えると、何かワクワクしてきませんか?
by violink | 2005-07-21 09:00 | Expression

表現の本質

「表現」という言葉が一人歩きしている、と最近思います。

日本語のあやかも知れませんが、「表現する」というと、
自動詞のようにも他動詞のようにも聞こえます。

それでなのか、「表現」と聞くと、どうすれば表現できるのか、という
方法論に一足飛びに行ってしまうような気がするのです。

表現できるツールが必要なのは、表現したい人であり、
逆に、表現したい人は、自分の使えるツールで表現するのであり、
自分の表現したいことに応じて、自分の使えるツールを増やしていくのだと、
僕は思うのです。

言葉を知らずに海外旅行をするときなど、ボディランゲージが活躍しますよね。
あれが良い例だと思います。

あくまで、表現したい気持ちが先にあって、それから方法論となるのですね。

もう一つ、

表現するという行為は、自己完結しているものだと思うのです。相手に伝わったかどうか、
というよりは、自分から相手に向けて発したということですね。

表現の良し悪しは、相手に発するメッセージの明確さであり強さであり、
それは、自分から発したところでもう決まっているものだと思うんですね。

相手に届くかどうか、ということに注意が向きすぎると、
自分の表現ではなくなってしまうような気がするんですね。

。。。これは僕が最近特に感じていることです。

表現するということについて、余計なことを考えすぎずに、
とにかく表現したいものを自分の使える方法で表現する、
というのが基本かな、と思う今日この頃です。
by violink | 2005-07-13 21:43 | Expression

伝わるvs伝わらない

知人の披露宴とか、ホームパーティーとか、いろいろとバイオリンを弾く機会があるのですが、そのたびに思うのは、「伝えた」ものと「伝わった」ものとが違うということです。

もちろん、聞く人の音楽経験の違いもあるでしょう。バイオリンの生演奏を初めて聞いたという人からすれば、聞こえてくる一音一音が新鮮で楽しめるでしょうし、想い出の曲の演奏を聴けば、きっと当時のことを思い出すでしょう。

そういうことは、弾いている自分の演奏の出来不出来とは違うところで、人に伝わっていることだと思います。もちろん、伝える内容を充実していきたいと思いますが、そういう努力とは別のところで、何かが伝わるんですね。そして、その何かは、伝える側には分かりきれないことでもあります。

そういう自分を離れたところで伝わる何か、、、その偶然に身を任せるのはアマチュアの特権ですね。思わぬ人から思わぬコメントをもらって、、、思わず幸せな気分になったりもします。

肩肘を張らずに楽しく過ごす時間、、、バイオリンと過ごす時間がそういう時間だと言い切れるひとは、本当に幸せな人だと思いますし、自分もそうなりたいものです。。。。

みなさんにとって、バイオリンと過ごす時間は、どんな感じですか?
by violink | 2005-06-17 19:03 | Expression

「壊して」いくこと

音楽というものは、とても「起伏」に富んだもので、その「起伏」は、テンポ・リズム・音価という時間の要素、ダイナミクスというエネルギーの要素、音程・和声というカラーの要素のそれぞれが複雑に絡んだ起伏になっていると思います。

「起伏」というものでイメージするのは曲線ですよね。まっすぐ行くのではなく曲がる。。。そこにとてつもなく大きな意味があるのだと、僕は思います。

言うまでもなく、音楽は作曲家によって生み出されたもの。作曲家はどこでどう「起伏」を付けるかを考えて、その作品を作っているんですね。

「起伏」ができるところで、何かが変わっているんだと思うんですね。そこで何かを意図的に「壊した」ということだと思います。何が「壊された」のか、何によって「壊された」のか。。。そういうイメージが自分の中に湧き上がってくると、それを表現するきっかけが掴めるんだと思います。

。。。街中を歩いていると、今までなかったビルに突然出くわすことがありますね。「あ、こんなの建ったんだ。。。」とすぐ気づきます。が。。。その前に何が建っていたんだか、すぐに思い出せないことって多くないですか?

意識していないと、今まであったもの、「壊す」前のイメージというものは分からなくて、「壊した」後のイメージだけに安住してしまうことになるんだと思います。

こういうイメージを持ちながら曲を聴いてみると、今まで気づかなかったことが何と多かったことか、、、きっと愕然とすることでしょう。それと同時に、作曲家の思いというものに一歩近づいたような気持ち(錯覚かも)になれると思います。

こういった気づきが多ければ多いほど、自分の演奏の中に豊かなメッセージを込められるのだと、僕は思います。
by violink | 2005-02-08 08:30 | Expression

言葉からみた音楽

私たちが言葉で何かを表現しようとするとき、まず表現したい「何か」があって、それを表す適当な言葉を探しますよね。そして、意図的にそうするかどうかはともかく、話すスピードやトーンの高さとか、それに顔の表情とか、いろいろなものが介在して、その「何か」を伝えようとします。

その「言葉」を「音楽」に置き換えてみます。すると、まず、言葉では私たちは作曲家であり演奏家だったのが、音楽では、(通常は)作曲家ではなく演奏家ということになりますよね。逆に、共通点もあって、「表現したいもの→表現する手段」、という矢印の向きであることや、「表現する手段=使えるすべての方法の組合せ」ということも分かります。

そこで、作曲家と演奏家とをつなぐ作業が必要になってきます。作曲家が楽譜に書いた内容を、演奏家である自分がどう読み解いていくか、ということが、「つなぎ」が上手く行くかどうかの決め手ですね。

さて、ここで「言葉」の世界に戻ってみます。大切な人から来たプライベートな内容のメールや手紙を読むとき、相手の気持ちを思い浮かべながら読みますよね。相手を知らない人であればサラッと読めてしまう内容でも、自分にとっては、とてつもなく重い内容だったり、逆に、まるで世界全体が明るくなったように嬉しい内容だったり、いろいろですよね。

自分とは赤の他人である作曲家を、どれだけ自分に近しい人物としてイメージできるかが、楽譜から読み取れる内容を豊かにもすれば貧弱にもするのだと、、、僕は思いたいのです。
by violink | 2005-02-07 07:09 | Expression