作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
by violink
カテゴリ
Introduction
Bowing
Fingering
Vibrato
Shifting
Pizzicato
Tempo
Pitch
Rhythm
Phrasing
Sound
Relaxation
Breath Control
Expression
Practise
Ensemble
Performance
Interpretation
Concert
Instruments
Motivation
My Feeling
Others
Q&A
以前の記事
2017年 01月
2016年 11月
2016年 09月
2015年 03月
2013年 11月
2013年 09月
2012年 09月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 06月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 01月
2008年 02月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 06月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 03月
2005年 02月
2005年 01月
2004年 12月
2004年 11月
2004年 10月
2004年 09月
2004年 08月
2004年 07月
2004年 06月
2004年 05月
2004年 04月
2004年 03月
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧


カテゴリ:Expression( 31 )

聴覚の「あや」について

例えば、NHKのアナウンサーが普段私たちが話すときのような発音でニュースを読み上げたら、どう聞こえると思いますか?(NHKの「のど自慢」などで、合格の人とアナウンサーの人との短いやりとりなどを想像してみましょう。)発音があいまいで聞き取りにくかったりします。

自分が思っているようには、相手には聞こえないということなんでしょうね。そこで、NHKのアナウンサーは発音を少し誇張しているわけですね。こういうことは、音に関わる世界であれば、言葉であれ音楽であれ言えることだと思いますね。

音楽の表現も、自分でつけたはずの表現が、人には認識されなかったり、後で自分で録音を聞いてみても聞き取れなかったり、ということがありますね。NHKのアナウンサーではありませんが、多少の誇張を行う必要があるのだと思います。

例えば、クレッシェンドやディミヌエンドは、音量を均等に上げたり下げたりしても、さほどインパクトがないですよね。クレッシェンドであれば、最初は徐々に後に行くにしたがって大きくした方が効果的です。ディミヌエンドは、最初に大きく落として後は徐々に小さくする方が効果的ですね。

同じようなことは、ルバートの中でのリズムの取扱いについても言えますね。付点のリズムは3:1ですが、これをルバートして遅くするときには、後の方が1拍が長くなってきますから、普通にやっていると2.8:1.2というように、3:1よりもリズムが甘くなっているように聞こえます。したがって、気持ちとしては3.2:0.8くらいでやったりする必要があるんですね。

まあ、この辺のことは純粋に演奏効果の話なので、本番前の仕上げ段階で一度確認しておけばよいことだと思います。(もっと大切なことは山ほどありますよね。)
by violink | 2004-09-06 00:29 | Expression

表現における「相対」と「絶対」について

オーケストラの弦分奏などで、「ここはヴィブラートをかけて~」とか「もっと大きく~」とか指示されることがありますね。こういう注意を受けると、「ヴィブラートをかけること」や「大きく弾くこと」自体に注意が向きがちで、言われたからやる、というモードになりがちです。

そもそも表現というものは、「ここ」や「あそこ」の表現がその前後と独立しているということは決してなく、常にその直前や直後との関係で、表現の内容が規定されてくるわけです。ですから、ヴィブラートをかけていない状態からかけている状態へ、とか、音量の小さい状態から大きい状態へ、という変化というか、それらの対比というものが、表現に意味を与えているのですね。

一方で、突然けたたましくなるベルのように、単にベルが鳴り出す前の静寂との対比ということ以上のニュアンスを持つ場合もあります。

要は、前者の表現は「相対」的なものであり、後者の表現は「絶対」的なものといえると思います。そして、「相対」的な表現ということを気にしていくようにすることで、表現の微妙なニュアンスの違いということに目が向きやすくなると思うんですね。

例えば、ヴィブラートの速さや幅ということに関しても、ノン・ヴィブラートの音との対比でヴィブラートを聞かせようとするならば、そのために必要なヴィブラートはごく僅かなもので足りるわけですね。恰も、鏡面のような水面(=そこに太陽がゆがみのない円形で映っているような)を僅かに揺らすことで、水面には今までにはなかった陽光の反射がみられるようになることと似ていますね。

このような、相対的な表現の違いを意識していくことによって、例えば、これまで3階調しかなかったグレーの色が10階調にもなるような、表現の幅が出てくると思います。それは、表現の有無の両方の極端を広げることではなくて、両方の極端に挟まれたレンジの中を有効に活用するというイメージになりますね。

このような捉え方をしつつ、表現の両端のレンジを広げていくように努めることで、表現のパレットには、これまで自分が想像しなかったような色まで含めて、多くの色の絵の具が並んでいくと思いますね。
by violink | 2004-08-23 23:21 | Expression

話すことと弾くこと

表現の手段としてみたときに、言葉を話すことと楽器を弾くこととは、いろいろと共通点があるものですね。大雑把に捉えても、例えば、道具の使い方を覚える必要があること、周りの人がその道具を使って表現しているかを観察すること、自分が表現したいことは何かを考えた上で表現すること、といった感じでしょうか。

そう考えると、道具の使い方を覚えるということと、何をどう表現するかを考えるということとは、別のことだということが分かりますね。声を発することができても、それだけで言葉が話せるわけではないんですね。

楽器の場合、道具の使い方を覚えることにエネルギーを注ぐあまり、「話す」練習が疎かになってしまうことが多いように感じることがあります(これは自戒の意味でもあります。)。何をどう表現すれば話せたことになるのか、ということについてのセンスを養うことによって、話していないのに話したつもりになる(=「意味不明」の音を出しても全然気にならない)ということがないようにすることが大切なのだと思います。

たまには楽器を持たないで、こういう練習(→練習というよりは音楽体験と言った方がよいかも知れませんが。)をするように、私も心がけたいと思っています。
by violink | 2004-08-20 17:49 | Expression

音色のパレットを増やすために

 バイオリンは様々な音色を出すことのできる楽器です。というのは、コントロールできるファクターが沢山あるからですね。音程、弓を当てる場所、弓の速さ、弓にかける重さ、ヴィブラートの速さ・幅、などなど。これらを全て変数と捉えて可能な組合せを考えると、それはもうとんでもない種類の音色が考えられるわけですね。

 ところが、実際にはそのようなことをやる人はいません。音色のパレットを増やす目的は、バイオリンという楽器からどんな音色が出せるのかを極めることではなく、音楽を表現するためにどのような音色を使うべきかを極めることにあるからですね。

 その手がかりはバイオリン自体にあるのではなく、音楽作品の方にあるわけです。そこで、音楽作品を研究して、自分なりにどの部分をどのような音色で弾きたいのかというイメージを作っていく必要があるわけです。

 つまり、いささか逆説的ですが、音色のパレットを増やすための第一の作業は、バイオリンを持たずにやるべきなのだと思います。

 どの曲のどの部分をどのような音色で弾きたいのか、そういう感覚を磨いていく必要があります。人によっては、磨くまでもなくはっきりそういうものを持っている人もいるでしょう。この作業は、しかし、義務的なものになっては本末転倒で、自分の心の声に耳を傾けるかのように、自分の内面を探っていく作業になってきます。

 まったく同じというわけではありませんが、声の出し方がこれと似ていると思います。声を出すときに、どんな声色を使って話すかを考えるよりも、どんな内容をどのような言葉を使って相手に伝えようかと考えますね。内容と言葉が決まってくれば、自分のそれまでの人生の中で使ってきた声のニュアンスの中から、それを伝えるのにピッタリのニュアンスを半ば無意識のうちに選んで話をするわけですね。

 バイオリンで音色のパレットを増やす作業も、本当はこういう順番なのだろうと思っています。したがって、バイオリンを持たずに、自分に対して音色のイメージのインプットを行うことが大切になってきます。それが人の声なのか、人が弾くバイオリンの音なのか、別の楽器の音なのか、自然界に存在する音なのか、、、いろいろなケースがあるでしょう。

 バイオリンを持たずに音色のパレットを増やすために、自分のバイオリン以外から音色のイメージを受け取るという感じを大切にしたいと思っています。
by violink | 2004-08-03 18:16 | Expression

細かい音からフレーズを掴むために

フレーズの中には、四分音符とか二分音符など音価の長い音を中心として構成されるものと、八分音符や十六分音符などの音価の短い音を中心として構成されているものがあります。(もちろん、これらの混合もありますが。)

細かい音のつながりのフレーズは、個々の音に注意が向きがちで、フレーズ全体のイメージを掴むことが疎かになりやすいですね。これはちょうど、モザイク画をごく間近でみるようなもので、個々のパーツははっきり見ているのに、パーツが集まってどんな模様になっているのか見えていない、というようなものだと考えています。

では、そのような細かい音のフレーズから、どのようにしてそのフレーズの全体のイメージを掴んでいくかですが、これは推理と発見の連続ですね。大まかには、まず、音のつながりの中から、特に意味を持っている音を把握していきます。

例えば、シンプルなところでは、フレーズが上行音型なのか、下行音型なのかという見方があり、その方向性を示している音をピックアップするというやり方があります。また、和音上重要な音をピックアップしていくというやり方もあります。そのようにして、細かい音の中でも重要な音をピックアップした後で、それらの音だけをつなげてみてどのように音楽が流れていくべきなのか、ということに目を配ってみるわけですね。

こうして、音楽の流れ方の骨格を把握すると、その重要な音とそれ以外の音との役割の違いが自分自身でも意識できますので、そのフレーズを練習するときにもそのような意識が生きてきます。その結果、よりフレーズ感のクリアな演奏が出来るようになっていくんだと思いますね。
by violink | 2004-05-20 12:46 | Expression

音楽の味付けについて

音楽と料理って、いろいろ似ているところがあると思うんですね。たとえば、美味しい味付けにするということ以前に、素材の持ち味を大切にするということです。

最近は、素材より味付けの方が勝っている料理が多いですよね。牛丼も下手すると汁の味だけというのもあります。最近登場した豚めしを食べて、「何だ、牛丼と同じような味じゃんか」と思ったことはありませんか。

話を元に戻すと、音楽の素材のことです。それは、突き詰めていけば和声とメロディということだと思うんですね。そういう素材に、どんな楽器の音色で演奏させるか、音域は、テンポは、強弱は...と味付けをしていって、完成された曲になってくるのだと思います。

もちろん、これは作曲の過程であって、我々のように楽器を弾く人間がやる作業ではありません。それでも、素材を大切にしようとすると、作曲のプロセスの最初にある和声とメロディというところに立ち戻る必要があるんですね。

したがって、音楽で素材を活かすとは、和声とメロディの特徴をよく感じて演奏するということになるんだと思っています。同じ和声でもメロディでも、人によって感じる特徴は違うかもしれません。また、ある場所の和声とメロディだけから特徴がつかめる場合もあれば、いくつかの場所にわたって和声やメロディが変化していく中ではっきりしてくる特徴もあるかもしれません。

こうして、まずは和声とメロディの特徴を感じることができれば、それにどんな味付けをしてあるのかということが、別のものとして認識できるようになってきますね。そこに作曲者の意図というものを感じるわけですね。

よくベートーヴェンらしく、とかモーツァルトらしくとかいうことが言われます。どうすれば「らしく」なるのかを研究することは、オリジナルを再現しようとする努力の中で初めて大切になってくることだと、私は思います。それよりもまず、自分がその和声なりメロディから何を感じ取るのか。そこに集中して、素材の持ち味を賞味したいものですね。

今回は、皆さん、多かれ少なかれ、既に感じておられるようなことを、私なりの捉え方であえて文字にしてみました。
by violink | 2004-04-30 11:36 | Expression

インテンポの中での柔軟性について

インテンポはメトロノーム・テンポではない、とよく言われますね。それでも、ちょっと気を緩めると、テンポが速くなったり遅くなったりして、そのことを指摘されたときに自分でその自覚がないと、結構あせったりしますよね。

確かに、メトロノーム・テンポで演奏しても、味も素っ気もないのですが、逆に、伸縮自在の音楽は、とても聴くに堪えません。インテンポをどう表現していけばいいのでしょうか。

一つのヒントとして、テンポを早め早めに感じる、遅め遅めに感じるということを、実験的にやってみてはどうでしょう。これは簡単なことで、メトロノームを鳴らしながら、最初はメトロノームが刻むとおりにテンポを感じるように始めて、次のステップでは、一瞬だけ早めに感じるように(ただし、感じるテンポは一定)、次のステップでは、一瞬だけ遅めに感じるように(同じく、感じるテンポは一定)してみます。

そこで感じられることは、テンポとしてはメトロノームと同じだけれども、前に傾いた姿勢と後ろに傾いた姿勢ですね。その姿勢の違いをもって、テンポの軽さ重さと捉えてみるということです。

インテンポの中での柔軟性について、一つ例を挙げるとすれば、高速道路でのカーチェイスでしょうか。2台の車が横に並んで、相当なスピードを出して走っています。基本的には同じスピードで走っているのですが、一方は一定のスピードをきちんとキープし、もう一方が時々スピードを上げたり落としたりして、一定のスピードで走っている方の車を抜いたり、抜かれたりします。そういうことを随所で繰り返しつつ、最後は同時にゴールインするというわけです。

言うまでもなく、一定のスピードで走っている車がインテンポで、もう一方の車は、基本的にはインテンポでもある程度柔軟性を持っているわけですね。どのようにテンポを伸縮させるかは、音楽によっても違ってくると思いますが、私は、このようなカーチェイスのスピード一定の車を意識しながら、その隣りである程度自由に走っている車のようなイメージでインテンポというものを捉えていますね。
by violink | 2004-04-27 20:17 | Expression

テンポ感覚について

テンポというと直ちに思い浮かぶのは、インテンポ、アッチェレランド、リタルダンドといったところでしょう。あとは、メトロノーム・テンポの表記(四分音符を120で、というような)くらいでしょうか。

私たちは、楽譜に書いてあるテンポに忠実に弾こうとします。それは、作曲者の意図を尊重するからですね。ただ、ややもすると、譜面にリタルダンドしろと書いてあるからリタルダンドしているんです、ということにもなりかねません。

テンポが変わるということは、それによって新たなことを表現しようとしているわけですね。テンポが変わったからといって、表現がどのように変わるというのでしょうか。その答は、テンポの速さ遅さをメトロノームの数字から離れて感じてみることを通じて見えてくるのではないでしょうか。

例えば、電車が駅に近づくとスピードが落ちてきます。その駅が久しぶりに戻ってくる故郷であれば、「ああ、やっと着いた」という安らかな感情も生まれるでしょうし、その駅が受験会場であれば、「いよいよ試験だな」と気持ちが引き締まるのかも知れません。

普通の速さで話している人が、「だ・か・ら・さ」と、そこだけゆっくり話せば、じれったいと思っているのかも知れませんが、それが「じ・つ・は」だと、言いにくいことをこれから話そうとしているのかも知れませんね。

このように、普段の生活の中で遭遇するテンポの変化を見てみると、TPOに応じて様々に意味合いが変わってくることが分かりますね。音楽のテンポも同じように考えられないでしょうか。

曲の中でテンポが変わるところで、どのようにニュアンスが変わるのか、その都度特に意識して感じるようにするといいのかも知れませんね。

このようなテンポの感じ方は、譜面の中で指定されているテンポの変化だけでなく、メロディーライン、和声展開から自分が受けるイメージを表現していくために、隠し味程度に使っていくのも楽しいですよね。
by violink | 2004-04-25 02:00 | Expression

バイオリンで表現していくために

音楽では、言葉の違いを超えて、世界の人にメッセージが伝わると言われます。確かに、我々は言葉も知らない異国の人が奏でる音楽を聴いて、彼らが表現したいと思っているであろう何かを感じることができます。その点で、音楽は、言葉以上の表現手段という面も持っていますね。

ただし、これは、自分が音楽を聴く側にいるときの話です。楽器を演奏する側からみれば、音楽表現は、自ら作り出すものであって、人から与えられるものではないのですね。

バイオリンを弾いて何かを表現するとします。まず、自分が言葉を使うという状況を思い浮かべてみましょう。私たちは、自分が意味を知っている単語を使って、自分の思いを表現します。例えば、「支離滅裂」という単語を自ら使う人は、この言葉の意味が分かっている人ですね。意味も分からずに言葉を使っても、表現したことにならないわけですね。そして、自分が意味を知っている単語だけをつなぎ合わせて、表現しているわけです。

これを音楽に置き換えてみましょう。音楽表現は、自分がマスターしているテクニックを使ってするもので、自分にマスターできていないテクニックを使おうとしても、それでは表現にならないわけですね。ここで問題が生じます。言葉の場合は、自分の知っている単語をつなぎ合わせて、自分で文章を作っていけば良いのですが、音楽の場合は、作曲家が「文章」を完成させてしまっていて、自分はそれを表現するわけです。

ですから、「文章」の中に自分がマスターしていないテクニックが出てくることも多いわけですね。そういうわけで、言葉と同じようには行かなくなってきます。さあ、どうしましょう。

答...というわけでもないですが、要は、簡単すぎると思う曲をバカにしてはいけない、ということです。子供がバイオリンを習いたてのころにやる「金婚式」や「ガヴォット」などといった曲も、きちんと表現しながら弾くとなると、それなりにテクニックが必要になりますが、例えば、「スプリング・ソナタ」のような曲に比べると、はるかに楽なわけですね。こういう簡単な曲できちんと表現できるということが大切なんですね。

表現したつもりになってしまっていて、何も伝わらない演奏をしているのに自分自身が気づかない、というようなことにならないようにしたいものですね。
by violink | 2004-04-18 07:37 | Expression

フォルテとピアノ

音の強弱のつけ方は、バイオリンを弾くときの表現の重要な要素ですが、本当は強弱というと誤解されやすいんですね。というのは、「強い」と「弱い」は、必ずしもフォルテとピアノのニュアンスと一致しないからです。「大きい」と「小さい」というのとも、また違うニュアンスです。

例えば、目の前の人に話しかけるときに、大きな声、小さな声で話しかけるとします。大きな声から受ける印象は何でしょうか。興奮、怒り、歓喜、などなど。小さな声はどうでしょうか。安心、平静、などなど。要は、声の大きさは単に音量の大きさではなく、そこから何らかのニュアンスを感じるわけです。

これと同じような感覚で音を捉えてみると、声と似ている要素が相当あることに気づくわけですね。作曲家がなぜここをフォルテで弾けと言っているのか、なぜここはピアノなのか、ここからなぜクレッシェンドなのか、などといった表現上の疑問は、音を声に置き換えてニュアンスをつかんでみることで、自分なりの見方ができるようになると思うんですね。

そうすると、感情を込めて弾くということができるようになってきますね。人に伝えるメッセージらしくなってくるわけです。

音量については、「そこはもっと大きく」とか「もっと小さい音で」という言い方で指導されることが多いですが、それをテレビの音量のように捉えてしまうと、このようなニュアンスとか感情とかといった世界に結びついていかないものです。
by violink | 2004-04-16 01:21 | Expression