作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
by violink
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カテゴリ:Performance( 14 )

ピアノとのデュオを聴かせるために

およそバイオリンを弾く人であれば、発表会などを含めて、ピアノとのデュオを演奏する機会がそれなりにあるのではないかと思いますが、その練習の際には、縦の線が合っているか、音量的にピアノに負けていないか、の2点にことさらに注意が向きがちだと思います。

これらは基本中の基本であり、まずクリアしないとそもそもデュオが成立しないという類のことだと思います。その上で、デュオとして聴かせるために、楽譜に書いていないことで注意すべきことがあるとすれば、ピアノとバイオリンのどちらがリードするのか、バイオリンの音程をどこまでピアノに寄せるかの2点ではないかと思っています。

ピアノがバイオリンの伴奏に徹している演奏は、その正反対の演奏よりは遥かに聴きやすいと思いますが、曲全体を通じてピアノが従に回ることが求められるケースばかりではありません。簡単な例では、ピアノがメロディー、バイオリンが伴奏の役回りをするようなケースでは、当然、ピアノがリードすべきですね。だいたいは雰囲気で分かるものだと思いますが、ここはピアノ、ここはバイオリンと、きちんと意識して捉え直して練習してみると、そうでない場合に比べて、メリハリの利いた演奏になると思います。ピアノとバイオリンの音量のバランスも当然関係してくるでしょう。また、音色の性格も変える必要があります。こういうテンポをリードするのはどちらか、という点だけでない部分に意識を向けることで、メリハリが出てくるのだと思いますね。

次に、音程のことですが、みなさんご存知のように、バイオリンは純正調、ピアノは平均律ということで、それぞれがそれぞれの調律で弾くと音程が一致しないところや、和音がハモらないところが随所に出てきてしまいます。ピアノは音程を変えることができませんので、音程の折り合いをつけるのはバイオリンの方の仕事ということになります。特に、ピアノとバイオリンが一緒に長い音価の音を弾いているときの音程や、一緒に弾き終わるところの音程が目立ちますので、そういうところでバイオリンの方が音程を上手くピアノに付けることができると、デュオの響きが格段にレベルアップします。

特に、音程のことは、アマチュアの永遠の課題でもありますので、自分だけで精一杯のところをピアノのことを考えて微調整するところまでは手が回らない、という事情はあると思いますが、曲全体でこれを完璧にやるのは無理にしても、一部を取り出してみて、そこだけ集中的に音程を考えることも、耳の肥やしになると思いますね。慣れてくると、ピアノの音程をある程度予測して、そこにはめ込んで行けるような感じになると思いますので、長い目でみて、しかし、諦めることなく取り組み続けるのがよいと思いますね。
by violink | 2016-09-26 06:14 | Performance

名演奏とは?

お久しぶりです。あっという間に今年も5月末。
月日の経つのは本当に早いものですね。

さて、「名演奏」と言われる演奏に出会うことがありますが、
自分で「名演奏」を選ぶとなると、相当難しいですね。

目線を少し変えて、自分が良いと思う演奏についてはどうでしょうか。

自分にとって心に響く演奏は、「名演奏」だから心に響くのではなく、
言葉以前に心に届くものがあったからだと思いますし、自分にとってはそうでも、
他の人の心には響かないこともあるでしょう。。。

そんなことに思いを巡らせながら、さて、僕の心に響く演奏はどんな演奏だろうか。。。
一言で言うならば、ひと味違う演奏で、自分の感性にしっくりくる演奏ですね。

最近の世の中では、差別化という言葉もよく使われていて、それを気にする余り、
違いを作ることが先になり、違うことをもってよしとするような風潮すらあります。

これは本末転倒ですね。

人それぞれ違う環境で生まれ育ち、生活しているのですから、
同じものを見聞きしても、感じることは同じではないはずですよね。

そういうところから、人の感性はそれぞれですし、
演奏の違いも自ずから生まれるのでしょう。

その違いが聞こえる演奏は、興味を持って聴くことができますし、
そういう演奏の中に、僕の心に響く演奏があると思います。

多少大げさな言い方をすれば、その人が生きていて、音楽作品を音にしている、
というプロセスがひしひしと伝わってくる演奏でしょうか。

こんな思いを秘めつつ、普段聞き慣れたCDを聴いてみると、
そこに何らかの発見があるのは、面白いことですね。

<本日の楽器> Mario Gadda c.1970
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by violink | 2009-05-25 03:18 | Performance

テンポ、ダイナミクス、そして調性

昨日たまたま、とある著名なカルテットが演奏するラヴェルのカルテットの録音を聴いたのですが、とても表情豊かな演奏で、いろいろな気づきがありました。

その際たるものは、テンポとダイナミクス、そして調性は、お互いに独立ではなく、密接に関係しているということです。

本当は、こういう書き方をするのは本末転倒だと思うのですが、敢えて書きました。

例えば、誰かが自分の目の前で、楽しかった話、悲しかった話、つまらなかった話を順に話したとします。恐らくは、それぞれに顔の表情、声の調子・スピード・高さなど、楽しさ、悲しさ、つまらなさのニュアンスを帯びていたことでしょう。

しかし、話を聞いて、「彼の話は、顔の表情と声色とが密接に関連していてニュアンスに富んでいた」という感想を持つ人はいないでしょう。また、「よし、自分の話をニュアンスに富んだものにするために、顔の表情と声色との関連に注目しよう」とも思わないでしょう。

というわけで、本末転倒だと思うのですが、厳密に振り返れば、人間も、自己表現の形を習得するプロセスが幼少の頃にあったはずですし、ましてや、顔や声で自己表現することに比べてはるかに間接的な、楽器による自己表現となると、そのようなプロセスを意図的に経る必要があるとも言えると思います。

ここでは深入りしませんが、楽譜に書かれていることは、作曲家の思いを記号化したものであり、どうしても大づかみになっていると思います。半音の進行は、音程が連続したサイレンのようなものの近似値かも知れませんし、複雑にみえる音の組合せは、もっと複雑な音で構成される鐘の音を模したものかも知れません。

そういうところに、解釈の余地が生まれるのだと思いますし、今回のテーマにしたテンポ、ダイナミクス、そして調性の関係についても、例えば、アレグロとか、フォルテとかと明確に指定するほどではないごく僅かな変化を伴って転調が行われることで、その場所でその調性が持つカラーが引き立ってくるということがあるのだな、ということです。

そういうことを何よりも感じさせられた演奏でした。
by violink | 2007-08-20 02:10 | Performance

聴き手に届いて初めて表現される

コンサートの録音(ホールの後ろの方での)を、聴いてみて、自分が思ったほどには表現がついていない、ということはよくありますよね。表現したのに聞こえていない、のではなく、聞こえるほどには表現されていない、ということです。

どうすれば表現として聞こえるのか、これは、耳元での聞こえ方からホールの後ろに届く音をイメージできるか、と言い換えられると思います。そして、それはとても難しいことのように思われがちです。しかし、大きくは2つの点に集約されるように思います。

一つは音質の問題。もう一つは「身振り」の問題。

まず、音質の問題ですが、遠くに届く音というのは、途中で減衰する要素が少ない音、つまり、ピュアな音であると思います。一方、耳元でしか聞こえない音というのは、ノイズの多い音だと言えます。そこで、耳元でできるだけピュアに聞こえる音を出していく、ということです。

ピュアな音は、小さな音でも遠くまで届くんですね。ですから、遠くまで届かせようと思えば、その分ピュアな音を目指すと言ってもいいと思います。もちろん、遠くまで届くからといって、大きな音で聞こえるわけではないので、ダイナミクスの話は別にあるわけですが。

もう一つの「身振り」の問題は、単に聞こえるだけでは、聴いている側に印象が残りにくいということで、いわばテレビのキャスターのような、歯切れのよいメリハリの利いた表現を心がけるということでしょうか。

今回のトピックは、バイオリンの演奏のごく基本の部分の話でありながら、日頃、疎かになりやすいことだと思います。僕自身にとっては、永遠の課題であります。。。
by violink | 2006-04-01 17:17 | Performance

本番で出来ること(最後のあがき?)

練習に練習を重ねて、待ちに待った本番。緊張感と興奮のピークは案外短く、気が付いてみれば、本番後のビールに思いが行っている自分を発見。。。というのは、アマチュアのプレイヤーの宿命でしょうか。

それはともかく、本番の当日を迎えて、ステリハを終えて、お客が入って、ステージが明るくなって。。。ステージに出て行って、曲が始まって。。。

ここまで来ると、もう練習などとは言っていられませんね。後は実力を出し切るのみ!!

と、張り切るわけですが、実力を出す方も大切ですが、仕上がりを考えると、ボロを出さないことも負けず劣らず大切だと思うのですね。

あまり、こういう角度からばかり考えると、折角の本番なのに現実臭が漂って、つまらなくなっても困りますが、ボロが聞こえないようにするのも、お客様への礼儀の一つだと、僕は考えています。

さて、ボロを出さないためには、ボロが出そうな予兆を早め早めに感じ取っていくことが大切ですね。と言っても、ある程度直前にならないと、その予兆は分からないものですが。

演奏というのは流れなので、あることが上手く行かないと、それに続くところがコケたりするものです。そういうちょっとした、「何かいつも通りに行っていないな」という感じを、敏感につかまえるようにすれば、ボロが出る予兆は、案外簡単に分かると思います。

ただし、敏感につかまえるためには、集中力を相当高めておく必要があるので、こちらの方が大変だと思いますね。。。。
by violink | 2006-03-29 18:20 | Performance

表現と感情

音楽でも絵画でも文章でも、およそ表現というものの裏には感情があると思います。もちろん再現芸術と言われる音楽(文章の朗読も同じカテゴリーですかね。)と絵画とは一緒にはならないでしょうが、およそ芸術家が表現したいと思うような何かがなければ、表現は生まれないものだと思います。

そこで、再現芸術たる音楽を演奏する側としては、作曲家が何を表現したかったのか、ということを模索することになります。本来、作曲家が表現したことは一つですが、演奏家によって解釈が違うということは、往々にしてありますし、その結果、いろいろな演奏スタイルが現実に存在します。

どれが正しいか、どれが間違っているか、ということを考えるほど、僕の手許には手がかりがありませんし、また、実際には正誤の問題ではないとも思います。が、音楽の場合、表現手段が一人歩きして、不可解な状況が生まれやすいと感じます。ヴィブラート、ルバート、アクセントなどなど、それを使うことで何かを表現したような錯覚に陥りやすいものをどう使いこなすか。このことに常に気を付ける必要があると感じています。

一人の人間として持ち得る感情のバリエーションは、性格や人生経験など、個人個人によって違う部分も大きいと思いますし、芸術家というのは凡人より遙かに多彩な感情のバリエーションを持っているのかも知れません。

それを全て汲み取ることは無理かもしれませんが、少なくとも、自分自身が、自らの人生経験から会得した感情のバリエーションの中で投影してみることはできると思うのですね。そういう作業を通じて、表現と感情のリンクをしっかりと保つことが、とても大切ではないかと思っています。
by violink | 2006-02-20 18:00 | Performance

<番外編>「原因」と「結果」

原因から結果が生まれる、ということは自明ですが、最近、世の中では、結果を生み出すための「促進剤」のようなものの「開発」が盛んになっていると思います。

例えば、モノを売るときにも、どういうものが売れるのか、から始まって、どう説明すれば売れるのか、となり、何を売るかよりもどう売るかのノウハウの方に、重心が移ってきていると思います。買い手が買いたくなるような説明を散りばめたアドで、世の中は埋め尽くされているとも言えます。

それで売れれば結果オーライですし、売れなければ話にならない。モノを売るということに関しては、それでよいのでしょう。では、演奏ということについてはどうでしょうか。実は、演奏についても、モノを売るのと同じようなアプローチが、最近は増えてきているように思います。演奏効果を狙った味付けの仕方というものがあり、それが演奏の印象を高めるというわけです。

話は多少飛躍しますが、例えば、化学調味料の味に慣れると、天然調味料の味が物足りなく感じると言われます。味の調え方としてどちらが優れているのか、というと、これは好みの問題にもなるわけですが、化学調味料というものが、天然調味料を模倣したものであることを考えれば、味の本質は天然調味料にあると言えるでしょう。

ただし、普段、化学調味料の味に慣れている人が、それをおいしいと感じるかどうかは別問題ですし、天然調味料の方がコストがかかるために、コスト・パフォーマンスを考えてしまうと、化学調味料でいい、ということにもなるでしょう。

そんな中で、音楽表現における必然とは何か、ということが問題になってきます。どこまで、どんな味付けをすることが、ある作曲家の作品の料理の仕方として、適当であるのか。これは、文章では書き切れない深遠なテーマであります。最終的には、自分の「舌」に頼るしかないわけですが、その判断基準として、何を据えるかということが重要ですね。

世の中で数多く売られているCDの中には、宣伝費をかけて売出し中の話題満載の演奏もあれば、数十年間前からのロングセラーもあります。いろいろな演奏を楽しむという意味で、売出し中のCDも楽しく聴けますが、地味ながら売れ続けるロングセラーの方には、音楽表現における必然を見つけるヒントがあるような気がします。

最近、僕が聞き直したCDとして、シェリングvsヘブラーによるベートーヴェンのソナタ全集、カントロフvsルヴィエによるフランクのソナタがあります。何れも、書棚に長く「滞在」しているCDで、折に触れて聴いてはいたのですが、今頃になって、僕に対して訥々と語りかけるようになってきました。

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- Antonio Stradivari 1716 "Soil" -
by violink | 2006-01-31 23:18 | Performance

2つの問いかけ

人間には一人一人の異なるキャラクターを持っていますよね。日常生活は、そのキャラクターから出てくる言葉・行動がその人なりの味となって、存在感を作っていると思います。同じ人が楽器を弾くときはどうでしょうか? 楽器を弾くというのは、僕は非日常の行為だと考えています。尤も、日常的に弾く人はいらっしゃると思いますが、行為としては日常的なものではないと思うんですね。

というのは、楽器を弾くときに自分が纏っているキャラクターは、自分自身のそれとは同一ではないからです。第一に、表現手段が自分のものではありません。楽器から音を出しています。第二に、表現する内容が自分からそもそも発せられたものではありません。作曲家の作品です。

こういうわけで、表現しようとするときに、直ちに2つの違和感があるわけですね。自分の中から生まれた感情を自分の声で表現するのに比べると、どうしてもある種の「ぎこちなさ」を感じざるを得ないわけです。

逆に、この「ぎこちなさ」を可視化するというか、感じ取れることが出発点なのだと、僕は考えています。この「ぎこちなさ」の感覚から、「どうやって?」と「何を?」の問いかけが生まれるからで、この問いかけにどう答えるかが、要するに、その人が楽器を通じて行う表現に他ならないわけですね。

これらの2つの問いに如何に誠実に答えようとするか、その態度そのものが、その人の演奏の価値を決めると言っても過言ではないと、僕は思います。そこに、テクニックの巧拙ということでは割り切れない部分が生じます。逆に、歌心だけでも割り切れない部分が厳にあります。

いわゆる巨匠というのは、この両面を極めて、しかも、楽器をいとおしみ、作品を敬愛するレベルに達した人たちを指すのではないでしょうか。僕は、あくまでこの2つの問いかけの延長上に、巨匠というレベルもまた存在すると思います。

今回は、いささか哲学めいてしまいましたが、何か感じ取っていただけるものがあれば、嬉しいですね。
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- Giovanni Battista Rogeri 16?? -
by violink | 2006-01-17 06:02 | Performance

タイムラグを意識化する

バイオリンを弾くときに、様々なところでタイムラグが発生します。それを一つ一つ意識し、そのタイムラグの分だけ頭の中で補正してやることで、演奏全体がピタッと一つのものになってくるように思います。

いくつか例を挙げてみたいと思います。。。

分かりやすいところでは、譜面を見る目の動きと出ている音のタイムラグ、左手の指を置いてから音を出すまでのタイムラグ、弾き出してから楽器が鳴るまでのタイムラグ、移弦に時間がかかることで発音が遅れるタイムラグ、などなどです。

こういう観察をもう少し続けていくと、これらの例よりも次元の高い話にもつながっていきます。それは、音にある表情・感情を込めようとするときに、自分の気持ちの方を先にその表情・感情に持っていくことを予めやっておく必要があるということです。

自分がその気になって、体が準備をして、弾き始めて、はじめてその雰囲気の音が出てくるわけですので、その気になるタイミングが遅すぎると間に合いませんね。先へ先へと曲の表情を先取りしていく必要があるのだと思います。

おおよそタイムラグの問題は、「演奏する者」と「演奏を聞く者」との立場の違いをいやでも意識させます。そして、演奏する側がこのタイムラグを意識し、それを補正してやることで、演奏を聞く者に自然に聞かせたいものですね。
by violink | 2005-07-26 23:55 | Performance

ピアノとのデュオについて

バイオリンのソロの名曲といえば、大抵、オーケストラ伴奏かピアノ伴奏か無伴奏ですね。このうち、アマチュア奏者にとって最も馴染みがある(=実現する可能性が高い)のは、ピアノ伴奏で弾くことでしょうか。。。

ピアノと一緒に弾くときに、まず気になるのは音量のバランスですね。
大抵は、ピアノがバイオリンの音を消してしまわないか、という心配だと思います。
音量的なことももちろんですが、ピアノの強いタッチにはバイオリンが抗しきれない、
ということも、確かにあります。

ただ、音量のバランスは、ピアノとバイオリンの両方の腕前にも絡むので、
ある程度は仕方がない部分もあります。
お互いにもっと上手くなるしかない、ということもあるでしょう。

それよりも、工夫をしてみる価値のあることとして、
バイオリンの発音のタイミングがあります。

ピアノのタッチに比べ、バイオリンの発音はどうしても遅れがちですので、
これを意識的に補正してみるということですね。更には、
音楽を引っ張って行くために、少し先に出るということもあるでしょう。

更には、ピアノと同時に出たのでは聞こえないので確信犯的に微妙に早めに出る、という人もいるかも知れません。微妙さ加減では効果的な場合もありますね。

適度なタイミングというのは、音楽全体を聞いてみて自然であればよいわけですが、
傾向的には、漫然と合わせているとバイオリンが遅めになりがちだと思います。

デュオの緊張感にもつながることなので、研究しがいのあるテーマだと、
僕は思っています。
by violink | 2005-07-18 23:06 | Performance