作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
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カテゴリ:Interpretation( 32 )

形を伝える工夫について

最近、楽器を弾きながら思うことの一つに、音楽の「形」を伝える、ということがありますね。音楽の「形」というと、小難しく考えれば、時代時代の、その作曲家固有の様式感というか、お約束というか、そういうものをイメージしがちだと思います。そう考えるかどうかはともかくとして、音楽には「形」のようなものがあって、それを感じる楽しみ、表現する楽しみというものも、楽器を弾く楽しみの大きな部分を占めていると思います。

この「形」を感じ取って表現するためのアプローチは、人により様々であり、ある人は直感的に掴み表現するでしょうし、ある人は理屈に置き換えて理解してから表現するかも知れません。しかし、どのようなアプローチをとるにしても、曲がりなりにも「形」を感じ取れれば、次のステップである「形」を表現することに気持ちを向けていけると思います。

「形」を表現しようとするときに、最初は気づかないことが多いのですが、徐々に余裕が出てくると、自分が表現しようとするものと、音として伝わっていくものの間に、大きな開きがあることに気づきます。そのような開きが生まれるのは、多分に思い入れや思い込みによるところが大きく、そのくせ、その曲の「構造感」のようなものが、自分の中にクリアに持てていないからだと思っています。

そんなときは、思い切って楽器から離れて、楽器を持たずに歌ってみる(声に出さないまでも)のが効果的ですね。

<本日の楽器>J.B.Vuillaume ca.1860 copy of Guarneri del Gesu 1742 'Il Canone'
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by violink | 2007-01-10 05:36 | Interpretation

楽譜の背後にあるもの

音楽表現ということを考えるとき、僕たちは、楽譜に書かれたことを忠実に再現しようとしますね。ところが、実は僕たちが目にする楽譜は、一定の標準化されたルールにしたがって書かれているものであり、作曲家自身が書きたいことを書き尽くしているものではありません。どうしてもある種の情報が欠落してしいるために、解釈ということが必要になるのだと思います。

ある種の情報とは何でしょうか。例えば、肉筆の手紙を思い起こしてみましょう。万年筆で書かれた肉筆の手紙、、、そこには、力の入り方による濃淡があるでしょう。涙のにじんだ跡もあるかも知れません。はたまた、小雨の中で走り書きをしたと思えるような、雨粒の跡があるかも知れません。文字情報以外の様々な手がかりが、その手紙が書かれたときの状況を示唆しますね。

手紙のような、物理的に判別可能なものであるかどうかはともかくとして、楽譜の場合にも、背後にある作曲家の思いというものを推し量ることが、楽譜に書かれたメッセージを読み取る上で、とても大切になってくると思うんですね。

ベートーヴェンの交響曲第4番の第1楽章。B-durに転調した直後で、フルートがメロディーを吹いていますね。DBFEsDFBAGEsCBAFEsCBという音型です。続いて、バイオリンがこのメロディーを奏でますが、この奏で方は凄いですね。全ての音を独立させて、しかも、一音一音ティンパニを叩かせています。楽譜にどう書いているかはともかく、これは、すさまじい強調であるわけですね。

とすれば、ここの弾き方として、まずは「強調」というニュアンスが表現されていることが必要であり、そのニュアンスを表現するための指示が楽譜に書かれているというように考えられないでしょうか。

「楽譜に書かれているからこう弾く」ではなくて、「こういう効果を求めたから楽譜にこう書かれていて、こう弾けばその効果が表現できる」というアプローチが、自分が出す音の中で作曲家の意図を表現していくためには必要なのだと思いますね。
by violink | 2006-02-16 07:16 | Interpretation

和声と伴奏型からのインスピレーション

引き続き、チャイコフスキーのコンチェルト第一楽章から、今度は、第二主題を取り上げてみたいと思います。AGis-HAGisHA-HBCisHBCisH...という特徴的なメロディーですね。自分がこの曲を知らないと仮定して、このソロだけを取り出して弾いてみるとします。規則的な形をしていて、ある意味で単純な音型ですね。

さて、このメロディーに、自分なりに伴奏をつけてみようと思い立ったとします。どんな和音を用いて、どんな楽器で、どんな形の伴奏をつけるでしょうか。実際につけてみる必要はありません。つけてみたつもりになってから、実際の作品を聴いてみます。このような思考プロセスを辿ることで、漫然と聞いていたのでは見えてこないものが、随分いろいろとみえてくるものです。

この第二主題をソロは2回弾いていて、2回目はその先に発展していきますね。1回目と2回目の伴奏型の違いをよく聴いてみましょう。いろいろな違いがあります。さすが大作曲家だけあって、自分などには想像もしなかったような和声と伴奏型が、1回目、2回目とも繰り広げられています。

自分の想像力を研ぎ澄まして、これらの和声と伴奏型を聴くことに集中する中で、おそらく、こうした和声と伴奏型に支えられているソロのメロディーをどのように弾きたいかという、イメージが出てくると思います。そのイメージをどんどん具体化し、さらに、演奏方法という現実の話に落とし込んでいくという作業が、今回の話に関しての「練習」と言えると思います。

この「練習」は、楽器がなくてもCDがなくても、頭の中に曲が入っていさえすれば、どこでも出来ることですので、サラリーマンの平日の通勤時の練習としても実行可能ですね。この「練習」をするだけでも、自分が目指したい表現の形というものが、ずっと具体的になってくると思いますね。
by violink | 2006-02-15 06:50 | Interpretation

作品を知るための「遊び」(その2)

バイオリンを弾く人なら、恐らくほとんどの人が知っているチャイコフスキーの協奏曲。第一楽章の最初のソロは、オーケストラの伴奏がありません。ここに貴方が1つだけ音を選んで、木管楽器にロング・トーンを吹かせるとします。さて、どの音を選びますか?

ポイントは、この裸のソロ全体にわたって、この音のロングトーンを延ばしている、というところにあります。

--------------

さて、数日の間に、Bernardoさんから2つのコメントがありました。僕が上の問いかけをするときに想定していた回答は、A-durのセブンスのどれかだろうということでした。その意味で、Bernardoさんの答は、想定の範囲内だったと言えます。

実は、僕は最初はGを選び、Aに選び直しました。Gを選んだ理由は、A-durからD-durにつながるためには、ブリッジとしてA-durのセブンスを持ってくるのが自然で、チャイコフスキーもこの裸のソロにこの和音を添えています。そして、この和音を特徴付ける音はGです。ただし、根音がAなので、半音違いのGisだけを鳴らすのは、どうも座りが悪いんですね。

それに、ソロの最初からGを鳴らすのは具合が悪い。というのは、僕なりに2つ理由があって、まず、ソロの弾き始めのA-B-Aは、その直前のtuttiの動きを引き継いでいるので、これを妨げたくないんですね。それから、ソロにA-durのセブンスを弾かせてあげたい。それが出てくる前に「種明かし」をしてしまうのは、具合が悪いというわけです。それで、無難なAに考え直しました。

さて、僕がなぜ今回の問いかけをしたのかというと、オケの伴奏がないソロだからこそ、自分の中で持っているべき和音を鳴らしながら弾かないといけない箇所だと思ったからで、A-durのセブンスがその和音に当たるわけですが、具体的に和音をイメージすることで、この一連のメロディーを歌うときに、どの音が重要でどの音がそうでないか、すなわち、どの音で歌い込むのは自然で、どの音はそうでないか、ということを考えるヒントになると思ったからですね。

ところで、BernardoさんのB-H-C-Cisというのは、とても面白いアイディアだと思いました。

ちなみに、僕だったら、これは木管楽器ではなくソロに弾かせます。そして、音としてはBは省略します。その方が、次のD-durを予感させやすいと思うからです。そして、ソロの終わりのtuttiに入る直前の、H-A-GのAを鳴らしながら一オクターブ下のAからH、Cと一音ずつ独立させて弾き、Gに移ってからCisを弾くようにすると、うまくtuttiにつながりそうですね。

下の方で動く4つの音は、短めにして、tuttiの直前はGだけが残るようにしたいですね。重音でベッタリ弾いてしまうと、どうも重たくて。

裸のソロは、全体がカデンツァっぽいので、こういう遊びもありですかね。(笑)

以上、今回の「遊び」のまとめでした。

PS ブログの原稿を書き直したときに、Bernardoさんのコメントも消えてしまいました。ごめんなさい。。。
by violink | 2006-02-12 12:24 | Interpretation

作品を知るための「遊び」(続編)

昨日のお話の続きです。ベートーヴェンのソナタ第5番の第1楽章の冒頭のメロディーについて、昨日書いたような「遊び」をしてみて、僕が気づいたことは、次のようなことです。

まず、このメロディー(最初の11小節)は、全体が大きな音階になっているということです。つまり、AGFEDCBAGFEDCBAGFEDCBAGFまで下行音階で、最後の2小節だけは、(Fis)GAB(H)CDEFという上行音階になっています。こういう単純な構造の中で、ベートーヴェンはメロディーの色合いを出すために、どのような工夫をしているでしょうか?

まず、最初のA-[GFEF]GFEDですが、この[ ]内の動きが装飾音符のように働いていますね。その次のGFEDは次のCにつながる動きですね。その意味で、この一連の音の動きの推進力は後半にあるように思います。

続く、C-[DCHC]DCBAの前半は同じく装飾音符的で、後半は次のGFにつながる動きです。そして、その先にある[EF^FD]CB[AB^BG]FEの動きは、[  ]内の音は、音の順序が、FEDとかBAGではなくて入れ替わっていますが、このことで、FDからd-mollの響き、BGからg-mollの響きが浮かび上がっていますね。尤も、この箇所はピアノが小節の頭からこれらの分散和音を弾いていますので、逆に[EF^FD]のEや[AB^BG]のAが装飾音符的な役目を果たしているように聞こえますね。

さらに、少し飛ばした先のCBAGFの動きについては、f-durの響きで一貫させてもおかしくないところを、f-durからd-mollの響きに一瞬ひねってから、g-dur、c-durのセブンスコードを経てf-durに戻す動きになっています。ここでd-mollが登場せずにf-durの響きで一貫されていたとすると、その後で戻ってくるf-durのインパクトが弱くなりますね。というか、つまらなくなりますね。

とりあえず、冒頭の11小節については、こんなことを感じたんですね。
by violink | 2006-02-09 06:05 | Interpretation

作品を知るための「遊び」

音楽作品の作曲のプロセスを僕たちが知ることは、まずありませんが、出来上がった作品のもつニュアンスを汲み取る上で、作曲家が行っていたであろう推敲のプロセスに類似した「遊び」を行うことは、役に立つと考えています。

例えば、ベートーヴェンのソナタ第5番第1楽章の冒頭。A-GFEFGFED,C-DCHCDCBA,G-FCF^FD,C-Bという有名な4小節のメロディーがありますね。このうち最初の2小節の3、4拍目の音の動きが逆であったら、どんなメロディーになっていたでしょう。

A-GFEDEDCD,C-DCBABAGAと、例えばこうなるわけですね。もとの節とはどう違っているでしょうか。1小節目は、Fの音の存在感が薄れて、代わりにDの音の存在感が大きくなっています。2小節目は、BとAの音が目立ち、また、もとの2小節目には出てこないGが登場します。

この結果、これらの2つのメロディーの聞こえ方は、全く異なったものになっています。この作業をすることによって、もとのメロディーが持つ響きについて何らかの示唆が得られないでしょうか。

更に言えば、この4小節では、ピアノの左手は、F^FDGと動いています。各小節毎の調性上、根音になる音をなぞっています。もとのメロディーは、主として、この根音の上に作られる三和音と溶け合う音で作られていますが、もう一つのメロディーでは、この三和音に関係のない音の存在感が大きくなっています。

こういう「遊び」を敢えてやってみると、もとのメロディーの必然のような部分がみえるとは思いませんか。こうでなくてはならない、という作曲家の意思が伝わってくるような気がするんですね。もちろん、ベートーヴェン自身が、この粗製のメロディーを推敲した可能性は低いと思いますが、もとのメロディーの持つ意味合いを照らす一助にはなると思うんですね。

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- Etienne Pajeot -
by violink | 2006-02-08 18:25 | Interpretation

和音から得られるヒント

最近、フランクのソナタの1楽章の和音進行を丁寧にみているのですが、そんな中で気づいたことがあります。専門家の方々からすれば、和声学の基本と言われてしまう(か、邪道と言われる)かも知れませんが。

この楽章では、セブンスコード(例えば、c-durであればCEGB。以下、c7と書きます。)とかナインスコード(例えば、c-durであればCEGBD。以下、c9と書きます。)というものが頻繁に出てきます。気づいたことはいくつかあるのですが、その一つは、これらのコードは、その先を予感させるもので、オチが必要になるコードなのですが、オチのように見えてその先がまだあるケースや、予想外のオチが待っているケースが多いのです。

c7→FACと解決するのかと思えば、c7→f7→BDFと続くケースは前者の例ですね。こういう箇所では、c7→FACのようにみせつつ、その先があることを予感させる、そんな弾き方ができないかなと思います。

もう一つは、和声一般の話ともいえるのですが、このナインスコードのトリッキーなところを、フランクが巧みに利用しているということです。c-durの例であれば、c9はCEGBDとなりますが、これは、CEG(c-durの3和音)とGBD(g-mollの3和音)の組合せとみることもできます。ところが、これらを組み合わせると、ナインスコードという一つの性格を帯びてしまうのですね。

例えば、ピアノでC-GBDとかCEG-Dとか弾いてみると、それぞれ音としては、d-moll、c-durが中心であるはずなのに、そうは聞こえず、ナインスコードが聞こえます。相手方の音を一音でも残してしまうと、即、ナインスコードになってしまうんですね。

フランクがやっていることは、例えば、c9の後で、c9からGBだけを外してg-mollを響かせてから再びc9を登場させるという手法です。このc9に挟まれたg-mollの響きは、心底g-mollという感じでもなく、どこかに洒落っ気のあるフワッとした感じなので、どう弾いたものか、いろいろ思いを巡らしているところです。

楽譜を丹念にみていくと、いろいろ発見があるものですね。


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- Jean Baptiste Vuillaume ca.1860 -
by violink | 2006-02-03 06:18 | Interpretation

「あること」の意味と「ないこと」の意味

音楽作品は、自分が掘り下げて勉強しようと思うほどに分からないことが増えてくるものだと思います。それは、楽譜に書かれたことや音として聞こえることのうちの、より多くのこと、より細かいことに注意が向くからですね。

また、そのようにして、一度、自分の意識に上ったものは、どのような意味を持つものか、探求させずには置きません。作曲家が何故その音を選んだのか、自分なりに想像してみることは楽しいことですし、また、こうした想像のプロセスを繰り返すことで、自分の中にも一定のイメージが出来てくるのだと思います。

フランクのバイオリンソナタの第三楽章で、盛り上がるだけ盛り上がった後で、フッと雰囲気が変わり、バイオリンが、B-H-D-Cis, B-H-D-Cis, Cisと奏でるところがあります。Fisのmajorの響き←→Hのminorの響きの交代が2回繰り返された後で、Fisのminorの響きに行き着きます。この2回繰り返しのところでは、ピアノのパートの最低音はCisで、しかも、時々しか出てきません。何故、Cisなのでしょう。何故、時々なのでしょう。

2回繰り返しの後で、ピアノの最低音としてFisが出てくるのがポイントだと、僕は考えています。Cisとは、Fisのmajorを構成する音で、いわば転回形となっているのですね。根っこのない不安定な感じが漂います。しかも、Cisは時々しか出てこないので、その次に高い音であるFisが、短くも頻繁に聞こえます。これは、最後に最低音でFisが出てくることの予兆のように聞こえるのです。

それもこれも、全て、最後のFisのminorの形を印象づけるための前座のようなものとして感じられます。この形が持つ存在感に対して、その直前のフレーズの不安定さ、それは音程の構造上もそうですし、majorとminorの交代もそうですが、その不安定さをどう表現するか。それが、現在の僕自身が直面している課題なのです。

そして、その不安定な感じをどうやってFisのminorの形の存在感に結びつけていくのか、これは優れて精神的なアプローチになってきますね。ダイナミクスをどうするとか音程をどうするとか、そういうことではなくて、自分の気持ちの持って行き方をどうするか、という問題だと思います。自分の人生経験(という大袈裟なものでもないのですが)に照らして、ぴったりくる心象風景を引っ張り出してくるような感覚でしょうか。

さて、この話は、「あること」と「ないこと」の喩えなのです。「あること」で意味をもつ音と、「ないこと」で意味を持つ音とがあるということが言いたかったのですね。葦で編んだバスケットの中に、リンゴとみかんと西洋ナシが入っていたとします。この中からみかんを選ぶ人は、みかんが好きだからかも知れないし、リンゴや西洋ナシほど嫌いではないからかも知れないのですね。

作曲家が音を選ぶプロセスも、こういうことにどこか似たところがあるのではないかな、というお話でした。私見なので、異論も当然あると思います。

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- Annibale Fagnola 1919 -
by violink | 2006-02-02 18:47 | Interpretation

演奏の説得力

言葉の説得力を左右するものは、ロジックであり真剣度であると思います。ただし、これらは両方が揃って初めて説得力があるというのではなく、それぞれにある種の説得力を醸し出すのだと思います。

カミソリのように切れるロジックで話されても、地に足の付いていない話であれば、「理屈はそうかも知れないけどさ。。。」という印象を持つかも知れませんし、ロジックはたどたどしくても、相手を見据えて力強く語られれば、その語る内容に圧倒されることにもなるでしょう。

演奏ということについても、説得力のある演奏とそうでない演奏というものがあって、それらを分けるものは、音楽の構成力と演奏者の姿勢であるように思います。弾くこと自体が楽しい、、、ということは結構なことだと思うのですが、弾くことを通じて何を表現しようとしているのか、さらには、自分にとって弾くことはどういう意味を持つのか、という問題提起の前には、極めてちっぽけなものになってしまいます。

本当の意味でのプロとアマチュアの違いは、こうした大きな問題提起を自分に向けながら演奏する人と、弾くこと自体が楽しいから弾く人、の違いだと思います。良し悪しではないのですが、こうした違いに意識を向けると、自分にとって聴く価値・知る価値のある演奏とそうでない演奏とが峻別できるようになると思います。

そして、演奏の持つ説得力とは一体どこから生まれてくるものなのか、ということについて、自分なりの見解が生まれると思いますし、その見解にしたがって、自分に対して訴えかけてくる演奏というものもまた、よく見えてくると思います。そして、その人の音楽体験をますます充実したものにしてくれると、僕は思っています、というか信じています。
by violink | 2005-10-06 18:24 | Interpretation

メロディーのイメージの捉え方

スプリング・ソナタの第1楽章の冒頭と言えば、曲名を知らない人でもメロディーを知っている人は多いでしょう。楽譜を開いて、この一節を目の前にして、さてどう弾こうかな。。。と考えているシーンを想像してみてください。皆さんは何をしますか? それを想像してみてください。

僕がまず最初にすることは、和声の進行を把握することです。そこからこのメロディーの基本的な「色合い」が見えてくると思います。その上で、個々の和声が基音の上に乗ったものか、転回したものかを見ていきます。それによって、「地に足の付いた」雰囲気を持った部分なのか、上向き・下向きに動こうとしている部分なのか、ということを感じ取っていきます。

これだけのことをすると、このメロディーの歌い方のイメージが自分の中に沸いてきます。尤も、ピアノの伴奏型とか、メロディー自体の形とか、これ以外にもヒントはいくらでもあります。宝探しのような感覚でこういうものを観察していくと、さらに閃きがあったりしますね。

それから、そのイメージを効果的に伝える方法を考えていきます。音程を高め・低めにとるとか、ある音を少し強調気味にするとか、テンポをここで微妙に変えるとか、そういうアイディアが閃いてきます。そのときに、言葉に置き換えて、人に話しかけるような気持ちでやると、自然な感じに仕上がって来ますね。(実際に具体的な言葉に置き換えるわけではないのですが。。。)

ここまでは、実は楽器を持たなくても出来ることなので、歩きながら、電車で吊り皮につかまりながら、喫茶店で窓の外を眺めながら、いろいろなときにやっています。

その準備として必要なことは、楽譜が頭に入っているか、楽譜を常に携帯することだと思います。僕の場合は、楽譜が頭に入るまでは、楽譜そのものかその縮小コピーをよく持ち歩いていました。とは言っても、CDも聴いていますので、そちらから覚えていく部分もありますね。

逆に、自分がやりたいと思った表現を、たまたまCDを聞いて発見することができたときなどは、一種の達成感というか満足感というかがありますね。

いずれにせよ、美味しいモノに舌が慣れてくると、不味いモノが食べられなくなるように、「美味しい」表現で「舌」を肥やしたいものだと思いますね。。。
by violink | 2005-10-04 07:07 | Interpretation