作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
by violink
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カテゴリ:Others( 28 )

画家と演奏家

僕は常々、演奏家は画家と似ていると思っています。

その心は、自分が表現したいことを表現し、表現したところで完結し、
それに対する人の評価は、結果としてついてくるだけだということですね。

もちろん、表現したいことだったら何でもいいのか?という疑問はあります。
自分本位な表現、その意味で人に受け入れられない表現というものは、
確かにあると思います。

でも、本当に自分が表現ということを真剣に考えているのであれば、
自分の中で自然に、人に対するメッセージとしての表現、それから、作曲家が
表現しようとしたこと、という要素が入ってくるのではないかと思うんですね。

だからこそ、画家が真剣に自分を表現した作品が人に受け入れられなかったとき、
画家は落ち込み悩むのだと思います。

それでも、やはり自分の表現をしていくしかない、というところに、
結局は立ち戻るのだと思います。

そういう突き詰まったところにある自分の表現というものを見つける「旅」を、
これからも続けていきたいと思っています。
by violink | 2005-10-10 09:25 | Others

<番外編>匿名性のない音楽(その2)

有楽町のHMVで何気なく手に取り、試聴したCDです。。。

最近人気の「のだめカンタービレ」のメインキャラクターである千秋真一とその仲間たち、R☆S(ライジングスター)オーケストラが、何と、ブラームス交響曲第一番をレコーディングしたのだそうで。架空の指揮者とオーケストラじゃないですかー、と思うとともに、実際は誰が演奏しているのかなー、と。

演奏内容はすがすがしく爽やか。ただし、やや無機的な感じです。水に喩えるならば、ミネラルウォーターというよりは電解還元水ですかね。。。どこまでも毒気のないブラームスでした。

カップリングで収録されているドヴォルザークの交響曲第8番の第1楽章が、これまた面白いですねー。スコアをいじった間違い探し用の演奏とスプラフォン版に基づく演奏が入っていて、比較してみると面白いと思います。間違い探し用は、やはりどことなく違和感ありです。

僕は常々、こういう間違い探しというか、和声進行をわざと変えたような演奏がいろいろな曲で出てくるといいのになー、と思っているもので。。。今回これに出会えて大変幸せでしたー。

さて、文体も元に戻して本題です。。。

このCD、実際の演奏者は明らかにされていないものの、架空の演奏者はしっかりと明示されていて、そこに匿名性のない音楽の新たな一面を発見したんですね。逆に言えば、架空の演奏者を立てて、そのキャラクターをハッキリ打ち出した上で、そのキャラクターを生かした演奏を、その架空の演奏者の演奏として世に出す。。。というのは、大変面白い試みだと思うんですね。演奏者自身が自分により身近なものになるからです。

自分がその人となりをよく知っている演奏者の演奏を聴くような感覚に、ふと囚われるところが面白いと思いました。匿名性のない音楽の性格を逆に利用したと言えるかも知れませんね。
by violink | 2005-09-24 12:42 | Others

<番外編>画家と演奏家の視点

昨日、練馬区立美術館へ、佐伯祐三という画家の展示会を見に行ってきました。大正から昭和初期に主にパリで制作に励み、30歳という短命で世を去った僕の大好きな画家です。その佐伯祐三の作品が約140点も集まる展示会は、東京では27年ぶりだそうです。

その作品群の中に、パリのノートルダム寺院を題材として、一日のいろいろな時間帯に同じ場所を描いたものがありました。そこで、モネがルーアンのノートルダム大聖堂を一日のいろいろな時間帯に描いたものをふと思い出しました。二人の描いた対象は違うにせよ、建物自体よりも光の違いこそが共通のテーマだったのではないか、と思いました。

言うまでもなく、我々が見ている色は、大抵の場合は光の反射を見ているわけですから、画家の描く絵の根底に、光というものに対する意識があっても当然だと思います。その光の移り変わりを描いたといわれるモネの上述の作品を見たときには、光という我々が見るものの根底にあるものをテーマとしていたことに、僕自身、少なからぬ衝撃を覚えたものですが、今回また同じ経験をすることになりました。

さて、画家にとっては光、演奏家にとっては。。。? それは音自体が持っているコクというか味というか輝きであろうと、僕は思います。明るい音とか暗い音とか、いろいろなニュアンスの音がある中で、無味乾燥ではない音というと淋しくなりますが、そうではない音、作曲家が自分の作品を作るときに自分のイメージの中で鳴らしていたであろう実のある音、そういう音を表現するのが、演奏家冥利に尽きることではないかと想像します。

色が多種多様であるように、音も多種多様です。そして、色が色であるためには光が必要であるように、音が音であるために必要な何かがあるのだと思います。そしてそれは、色ほど自然に得られるものでなく、やはり演奏家が作っていかなければいけないものなのだと思います。

こう思いを巡らすと、色から音、音から味や香りと、話がどんどん広がって行きそうですので、今回はひとまずこの辺でペンを置く(?)ことにしたいと思います。。。
by violink | 2005-09-24 07:19 | Others

<告白編>匿名性のない音楽

ITが発達して、ネットでのコミュニケーションが普通になる中で、1軒のショップが相手にする客の数は膨大になり、見知らぬ人同士のやりとりも活発になっている世の中であっても、音楽の世界は、スポーツなどと同様、コンテンツがITによって影響を受けない世界の一つだと思っています。

マルチメディアの時代になっても、ブログが発達しても、僕たちが求めるのは、ある演奏家によるある楽器の演奏であり、それはある日ある時、その瞬間だけになされるものですね。均質なサービスとはほど遠く、また、演奏者の方はインタラクティブな感覚でコンサートに臨んでも、聴く僕たちの方は一方的に受け取りに行く世界。

誰が弾く何の曲なのか、それを明確に把握してからコンサートに出掛け、CDを購入する匿名性のない世界。同じ曲の演奏を別の演奏者で聴こうとするのが、「繰り返し」と思わない世界。それは、演奏者毎の演奏の違いを善し悪しでなく、多様性として受け取ることが自然に出来ているということなのでしょう。

人それぞれ個性があり、だからこそ、時にはぶつかり傷つく。。。という当たり前の人間関係が、心地よくない人間関係は避ける、という方向に向かってしまっている現代に生きる人間の一人として、音楽を聴くことで人間の多様性を連想するのは僕だけでしょうか。。。

そして、顧客本位のマーケティングがこれだけ普通になった世の中で、顧客(お金を払う)がお店(演奏者)に対して、尊敬を、憧れを、そして時には畏敬の念を抱きながら、サービス(演奏)の提供を受ける数少ない世界の一つなのだろうと思います。

ともすれば希薄となり、また失いがちなものに、音楽の世界に生きる中で曲がりなりにも自分自身をつなぎ止めておきたい、と感じる今日この頃。そして、音楽の世界は、人間の本来の何かを取り戻すきっかけを与えてくれるものと信じてもいて。

人間、失うということは一瞬に起こるとは限らない。むしろ、実は徐々に失うからこそ、失い切るまで気づず、気づいたときには時すでに遅し、ということが多い。そういう自分も無意識のうちに何かを失いつつあるに違いない。。。(笑)
by violink | 2005-09-19 07:36 | Others

<番外編>スピーカーの違い

最近、人に勧められて購入したスピーカーでCDを聞くようになってから、CDを聞く頻度が大幅に増えました。というのも、そのスピーカーから出てくる音がリアルで、まるでその場で演奏しているような音を聞かされているからなのです。

タイムドメインという日本のメーカーが作っている小型・廉価なスピーカー(左右ペアで2万円でお釣りがきます。)で、iPodに接続すればちょうどいいような大きさ、デザインなのですが、その小型スピーカーがCDから送られてくる信号を全身でしっかり受け止めて、自ら振動して送り出してくる音に、衝撃を受けました。

音というものはエネルギーの塊であって、フォルテとは、大きい音ではなく力強い音だということが、理屈でなく聞こえてくるんですね。それはまさに、ライブでしか味わえないものだったと思います。音の解像度のような概念を超えた、実際の演奏の「再現」というのではなく、まさに、その場で演奏が繰り広げられているような錯覚に捉われるほどでした。

音に対する自分のセンスを磨いていくために、こういうスピーカーで名演奏を聴き続けたら、さぞかし勉強になるだろうと思いました。

どうやら、スピーカー製作の世界にも、「音作り」ということがありそうですね。。。
by violink | 2005-09-11 15:01 | Others

<番外編>バイオリンに求めるもの

今回のタイトル、とても漠然としていますが、実はわざとそうしたんですね。。。

バイオリンに求めるもの、、、音でしょうか、それとも優雅な演奏姿でしょうか。
それとも。。。インテリアとして、美術品として、先祖代々伝わるお宝として。。。

過去450年以上にわたって、多くの人々が、様々な思いを抱きながら、
バイオリンという楽器に触れ、バイオリンを受け継いできました。

そういう歴史の途中に、僕たちが存在します。巨匠イブリ・ギトリスの言葉だったでしょうか、「我々が担っているのは、バイオリンの長い長い一生のごく一部でしかない。」

子供の頃に、ふと考えたことがあります。
今、この瞬間、自分がタイム・マシーンに乗ったとして、
時間が逆戻りを始めたとしたら、、、

自分の周りのものがどんどん消えていき、自分が消えて、周囲の環境がどんどん変わっていくのに、バイオリンはそのまま残っているという光景。。。古いイタリアの楽器であれば、メディチ家の応接間にたどり着くかも知れません。そして、アルプスの森の中の一本の木へと戻っていくのかも知れません。

そんなことを想像しながらバイオリンと向き合っている時間が、何と楽しかったことか。。。残念ながら、その楽しさを共有する相手が、子供の頃の僕にはいませんでしたが。。。

大人になって思考が現実化すると、楽器のケースを開けるのは弾くときだけになってきます。弾くことに気持ちが焦って向かっている。。。と思うことが、自分でも時々あります。でも、たまには、楽器そのものと向き合う時間が欲しいですね。

昔見たビデオで、ハイフェッツが楽器をケースから取り出すシーンを、今でもよく覚えています。ダブル・ケースの中に、シルクの袋に収められた2つの楽器。そのうちの一方の楽器を取り出して、その裏板をしげしげと眺めるハイフェッツ。。。

みなさんは、隅から隅まで、自分の楽器のことを知っていますか?形、色合い、大きさ、などなど。。。機会があれば、楽器ケースを開けてから、しばらく楽器を眺めてみては如何でしょう。何か感じると思います。。。

いわゆるコレクターと呼ばれる人たちは、その「何かを感じる人たち」の代表選手なのかも知れませんね。。。
by violink | 2005-09-06 21:14 | Others

<番外編>老巨匠のピアノ演奏

HMVでたまたま目にし、試聴したCDですが、M.ホルショフスキーというピアニストのショパンの小品の演奏に心が震えました。

カザルスやシゲティの伴奏もした人で、このCDが録音された1987年(’カザルス・ホールでのライブ録音)には、既に95歳でした。その後、102歳で生涯を全うするまで現役を貫いたそうです。

僕は、この人の演奏を聴くこと自体がそもそも初めてだったんですが、95歳とはとても思えない力強い演奏に、まず圧倒されました。しかし、若者の演奏とは違う力強さを感じました。ピアノのキータッチが特にシャープというのではなく、メッセージの力強さだったんですね。

95歳の人の演奏というだけで、いろいろな思いがこみ上げてきます。もちろん、長年の演奏経験から来る成熟した音楽性というものもあります。でも、それだけでなく、世界大戦を2回も経験した世代の人間としての音楽との向き合い方、自分より遙かに若い世代のみを聴衆に迎えた演奏家の心境、驚異的なテクニックとはいえ本人的には衰えを感じているであろうその事実との向き合い方、、、などなど。

それにしても、お店で試聴しているわけですから、周りに人がいますし、試聴コーナーにはこれ以外のCDもいくつか置いてありますし、いろいろ雑音があるはずなのに、目は開けども周囲が全く目に入らないような心境で、ひたすらこの老巨匠の音の世界に集中していました。

ピアニストと呼び切るのがためらわれる、人生の大先輩からのメッセージとして、つまらないコメントをせずに、何も言わずに聴いているしかない迫力のようなものを感じさせる演奏に、本当に久しぶりに出会った気分です。

お金では買えない宝物を手に入れたような気分になりました。(買ってはいないのですが。。。)
by violink | 2005-08-22 08:16 | Others

<番外編>CDのご紹介

実は、このブログでCDをご紹介するのは、これが初めてです。これまで紹介して来なかったのは、皆さんそれぞれ好みがあるでしょうし、また、自分がたまたまそのCDを聴いたから紹介しているというだけで、それ以外にもお勧めするに足るCDが他にいくらでもあるはずなので、今ひとつ気乗りがしなかったんですね。

しかしながら、このブログは、僕自身のために書いているようなものなので、備忘録代わりに書き付けておくのはありだろうと思い、今回は、初めて特定のCDについて書くことにしました。

それは、TDKから最近出たヘンリク・シェリングのリサイタルのライブ録音です。1976年4月に来日した際に、東京文化会館で収録された音源をCD化したものです。FM東京の音源だそうです。CD番号は、TDK-OC010となっています。

そもそも、僕がバイオリンを習い始めた頃、最初に「出会った」演奏は、ダヴィッド・オイストラフのモーツァルトのコンチェルト第3番であり、レオニード・コーガンのベートーヴェンのコンチェルトであり、続いて、ヘンリク・シェリングのベートーヴェンのコンチェルトだったんですね。最初の2つは父親が持っていたレコードでした。

シェリングの端正な演奏スタイルを僕はとても気に入っていて、有名なバッハのソナタ&パルティータのCDは、それこそ「擦り減る」くらいに聴いてきました。

今回ご紹介したCDでは、そのリサイタルで演奏された曲として、バッハのバイオリンとチェンバロのためのソナタ第1番(抜粋)、第3番、第6番、そして、無伴奏ソナタ第1番とパルティータ第2番が入っているほか、シェリングの肉声でバッハの音楽に対する想いが切々と語られています。(実は、シェリングの肉声を聞くのは、僕はこのCDが初めてなのです。)

ライブならではの臨場感もあり、シェリングの愛器であった1743年デルジェス"ex-LEDUC"の力強くもほのかに暗い音色も堪能できて、「ブラボー!」などと叫ばない当時のお行儀のよい日本の聴衆の拍手も一興で、大変楽しめました。

マイクから音源までの距離は、適度に離れているので、発音の様子はあまりクリアに聞こえない面もありますが、S席で聴いたらこんな感じだろうとは思います。ピアノ(伴奏はチェンバロではありません。)とのバランスも、それぞれが必要なところできちんと自己主張しながらも、うまくまとまっています。

今、そのCDを聴きながら書いているのですが、とても豊かな気持ちです。日曜日の夜はこうでないといけません。。。(笑)
by violink | 2005-07-31 21:54 | Others

感動の本質

素晴らしい演奏に接して感動する、、、
音楽を愛する人であれば、きっとそんな体験がありますよね。

胸がじんわりと熱くなって、言葉が見つからず、
他のことが目に入らず耳に入らず、

自分の中で、ずーんと何か重いものが落ちていくような、
それでいて幸せな気分で。

人と一緒に出かけたコンサートで感動してしまうと、
自分だけ感動してばかりもいられず、
ついつい日常に引き戻されがちだったりするので、

僕は実は一人でコンサートに行くのが好きだったりします。

まあ、それはともかくとして、
感動は聴衆である自分だけでは作り出せない。

演奏者とのコミュニケーションの結果であり、
その演奏に共に耳を傾ける人たちとの雰囲気の共有であり、
そういう意味で、かけがえのないものだと思っています。

その先には、何か「感謝」のような気持ちがつながっていきますね。
それが幸せの源泉かな、とも思います。

さて。。。

最近のこのブログ、バイオリンの奏法の話から少しそれた話題が
続いていることに気づかれたでしょうか。

僕自身、「バイオリンを弾く」ということを、もっと広い視野の中で
捉え直してみたいと思っているのです。

そのプロセスを経て、同じものをより高い次元から捉えたいという、
気持ちからです。

今後ともよろしくお願いいたします。。。
by violink | 2005-06-29 21:52 | Others

「パリ左岸のピアノ工房」(新潮社)

僕のブログには、いろいろな方が立ち寄ってくれています。
その中の一人の方が、秘密の方法で紹介してくれた本が、この本です。

パリに住むモノ書きの男の人が、自宅そばにあるピアノ工房を訪れ、
そこを訪れてはいろいろなピアノに触っている中で、
自分にピッタリの一台を見つけ、それを購入して自宅で触って楽しむ。

という、私の拙い表現力では一言で言ってしまえるストーリーなのですが、
そのストーリーの過程で、主人公が何と広く深くピアノの魅力を感じ取っていることか。。。

楽器こそ違いますが、僕もバイオリンの魅力をそのように感じ取れたら、、、と、
思わず主人公がうらやましくなりました。バイオリンはピアノよりも歴史が長く、
また一台一台の個性も格別なので、要は、僕自身の感受性の問題なのでしょう。

さて、主人公は、この本の49ページ目で、自分が購入したピアノのことを、
「私の人生にやってきたもの」と表現しています。

「ようこそ、僕の人生へ。」なんて言えたら、素敵だとは思いませんか。
自分の人生を自然にポジティブに捉えればこそ、言えるせりふだと思います。
そんなせりふを僕は自分のバイオリンに対して吐けるだろうか。。。

それでも、この本を読んだ後で自分のバイオリンを眺めたときに、
楽器からの声なき声を聞いたような気がしました。
まだ子供の頃、時間がふんだんにあった頃に、
バイオリンを見つめながら抱いていた感情を、ふと思い出しました。

不思議なものですね。たかが一冊の本で。

それにしても、ブログを通じて、誰かが僕に本を紹介してくれるなどとは、
予想だにしませんでした。ありがとう。

今回は、ちょっと一方的な告白編になってしまいました。。。
by violink | 2005-06-28 07:22 | Others