作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
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楽器の手入れについて

今回は、いつもの話題とはちょっと毛色の違う話です。

楽器の手入れというのは、要するに、自分がその楽器を手に入れた時の状態に出来るだけ近い状態を保つために普段何をすればよいか、ということですね。

したがって、楽器をケースに戻すときに汚れを落とすことが基本になります。汚れとは、汗、手垢、松脂、ホコリといったところでしょうか。通常、乾拭きをすることでこれらはすべてとることができますね。拭くときに使うものは、ニスを傷つけないような素材のものである必要がありますし、力を入れてゴシゴシ拭くのではなく、楽器の表面を軽くなでるように拭きます。

汗については、そもそも楽器を弾いているときに楽器の接着部分が汗で濡れることを出来るだけ避けるようにします。楽器を構えるときに顎当ての辺りに布を当てるのは、そのための一つの方法ですね。ただ、布のせいで楽器が滑らないように、布の材質を選ぶ必要があります。ちなみに、私はセーム革を使っています。楽器を弾いた後は、手が触れたところはすべて拭くようにして、汗と手垢(油分)を取り除くようにします。そのときに、布が駒に引っかかって、駒を倒すことがないように気をつけます。

松脂については、弾くたびにきちんと拭き取るようにすれば、普通は乾拭きできれいになりますね。ただ、駒のそばにあまり沢山の松脂の粉が飛び散っているような場合は、そもそも弓の毛に松脂をつけすぎていないかチェックすることが必要ですね。それから、弓のスティックにも松脂はつきますから、これも拭き取っておく方がよいでしょう。さらに、時々でよいでしょうが、f字孔を綿棒で軽く触るようにすると、ここについた松脂も簡単に取れますね。

ホコリがたまりやすいのは、顎当てやテールピースの下、指板の下、糸巻箱の中ですが、ごくたまに布や綿棒を使ってこれらの箇所を触るようにすれば、これは簡単に取れます。まあ、ホコリについては、それほど神経質になる必要はないと思いますが。楽器の中を掃除することも、考えられないではないですが、私はやっていません。(ホコリをとるという意味では、10年に1度もやれば十分過ぎるくらいではないでしょうか。(笑))

ところで、楽器を拭くときにクリーナー(液体)を使うかどうかですが、通常、クリーナーには研磨剤が入っており、ニスを削る作用があることに留意すべきですね。それで、もし使う場合でもごく少量にとどめるべきだと言われています。また、過去に修理を行った箇所にクリーナーが滲み込むと、将来、その部分のニカワが弱くなって張り直す必要が生じたときに、ニカワの付きが悪くなるということもあるようです。そこで、クリーナーを使うような掃除は楽器屋さんに任せた方が無難だと思います。

さて、ここまでは「後からついたものを取り除く」というお話ですが、これ以外にもいくつか気をつけるポイントがありますね。

まず、楽器の弦を練習の度にゆるめるかどうかですが、特に古い楽器で表板にかかる張力を時々リリースしてやる必要がある場合を除いては、通常は必要ないと言われていますね。弦を張りっぱなしにしても、それがために楽器が壊れるということはないと思います。(楽器を高温多湿のところに放置すれば別でしょうが。)

次に、弓の毛を緩めることについてですが、弓のスティックの寿命をのばすためにも、毛は完全に緩めるのがよいと、私は思っています。通常、これは目で見ながら緩めれば簡単に出来ることですが、湿度が高いと毛が伸び、低いと毛が縮むので、このために弛め切ったはずの弓が、次にケースを開けたときには何故か緩み切っていない、ということが起こり得ますので、出来るだけ余裕を持って緩めておくのがよいと思います。弓の毛を張り替えたときに弓の毛が短めになると、ネジを完全にゆるめても毛が多少張った状態になってしまうことがありますので、毛替えのときに毛の長さを指定するか、完全に緩められるような長さにするようにお願いするとよいでしょう。

それから、糸巻がスムーズに回るようにするための調整ということもありますが、これは弦を張り替えるときに、ヒルのスティックと呼ばれるクレヨンのようなものを、糸巻きと糸巻箱が当たるところにごく軽く塗ってやるようにすれば、簡単に解決すると思います。塗りすぎると逆効果ですので、楽器屋さんに任せた方がいいという方もいると思います。

さらに、駒がきちんと立っているかを常に確認することも大切ですね。弦を張ったり調弦したりすることで、通常、駒は指板寄りに反りやすいものですので、テールピース側の面と表板の作る角度が直角になっているかどうかを、普段からチェックしておく習慣をつけると良いですね。放置しておくと、駒自体がそういう向きに変形したり、極端な場合では、弾いているときや調弦しているときに駒が倒れてしまうことがあります。ただし、この直角を維持するために駒を触る作業は、かなりデリケートなので、慣れないと駒を倒してしまう恐れがあるので、これも楽器屋さんに任せるのも一案ですね。

E線のハイポジが押さえにくくなったと思うときは、ネックが落ちていないか(=弦の張力でネックが反ってしまっていないか)を確認する必要がありますが、これは楽器屋さんにチェックしてもらわないとハッキリしないと思いますね。(逆に、駒が高すぎる場合もありますので。)

大体こんなところでしょうか。長年バイオリンを弾いていると、こういうことは習慣になってきて、特にいちいち考えなくても一通り注意が向くとか手が動くとかいう「境地」に達すると思います。
by violink | 2004-09-30 06:54 | Instruments

音を遠くに届かせるためには

アマチュアの場合、遠くに届くかどうかというのは、ソリストほど深刻ではありませんね。というのも、大きなホールで弾くのはオケの中がほとんどですし、発表会やリサイタルのようなものをやる場合は、小さなホールが多いからです。

それでも、特に楽器を買い換えるときなどは、反応のよさに加えて、音が遠くに届くかどうかということが気になるものです。また、音が遠くまで聞こえているかどうかということは、日常的な関心事でもあります。

さて、音が遠くに届くようにするためには、①遠くに届く音が出る楽器で、②音が遠くに届くような弾き方をする必要があるわけですね。この①と②が相俟って、現実に音が遠くに届くということです。

実際には、①を満たす楽器を選ぶには②を満たす弾き方ができないと難しいと思いますので、この2つは切り離せないのですが、まず、①を満たす楽器とは、きちんとした弾き方をすれば遠くに音が届く楽器ということであり、楽器の板の厚さとかアーチとか、要は、楽器が効率よく振動するような作りになっているかということがポイントになってきますね。

楽器の作りについては、楽器を作る人でないと分からない部分も多いとは思いますが、こと音に関する限りは、ある程度弾くことの経験(=弾いてみたときに出てくる音に雑音がないとか、弾いた感じ(=裏板からの反発が右手に感じられる、音切れがよいなど))に照らして判断できるものだと思います。私の場合は、音程がピタッと合ったときに雑音のないフォーカスされた音が出てくるか、弾いているときに裏板からの反発があるか、弾いているときに楽器の中で音にドライブがかかって楽器の外にはじき出されてくるような勢いを感じるか、といった感覚を重視しています。

その経験を積み重ねる過程では、遠くに音が届く楽器とはどんな音が耳元で鳴って、どんな弾き応えなのか、ということを体得すればよいのだと思います。ただ、同じ楽器でも調整の成否によって印象が全く違ったものになりますから、ここまで書いた話は、あくまで調整がきちんとなされているという前提でのことです。

特に大切なことは、「音量が大きいかどうか」ということは、音が遠くに届くかどうかを判断するのに余り役に立たないということですね。バイオリンの音は、スピーカーを通して流れる音とは性質が違うということです。それは、そばで大きく聞こえるものが遠くでもそこそこ聞こえる、というものではないことからも明らかですね。むしろ、そばで聞こえる音の要素のうち、雑音を除いた要素の割合が大きく、それが減衰せずに遠くに届くというイメージだと私は思います。

次に、②については、これはボーイングの本質に関わることで、いかに効率よく弦を振動させるかということになります。一言で言うならば、雑音が入らず必要十分な力で最大の響きを、ということになるのでしょうが、ボーイングの話は他のメモでも散々書いてきましたし、これからも書いていきます(=それだけ奥が深いということなのでしょう)ので、ここでは深入りしないことにしたいと思います。

今回のトピックについては、議論をして答が出るとか、文字で読めばイメージがつかめるようなものではありませんので、何となく歯切れが悪くなってしまいました。皆さんはどのようなイメージで、遠くに届く音のことを捉えていらっしゃいますか?
by violink | 2004-09-29 06:54 | Sound

ダイナミックな演奏をするために

プロの演奏を聞くと、速いパッセージがとても華々しく聞こえたり、美しい旋律がとてもダイナミックに歌い込まれていたりしますが、その大方はボーイングの上手さに依存しているのですね。(もちろん、左手で音程を正確にとり、適度なヴィブラートをかけるのが前提ですが。)そのことは分かった上で、プロの演奏の映像をみると、とても荒々しく弓を弦にぶつけたりしているように見えて、それを真似てみたりすることもありますよね。

ところが、華々しさ、ダイナミックさを表現するのに何しろ大事なのは、まず第一に、楽器がよく鳴る状態になっているということなのですね。その上で、その楽器をよく鳴らすようなアプローチを右手がしているということが決め手となります。

効率のよいボーイングというのは、要はすべての音をきちんと鳴らしつつ、それに必要な力やエネルギーが最小であるようなボーイングという意味で言っていますが、この前段部分が疎かになりやすいのですね。その結果として、動きだけが立派で音が伴わないということに、特にアマチュアの場合は多いと思います。

以前にも書いたかと思いますが、楽器をよく鳴らせるかどうかは、弾き出す瞬間にかかっています。弾き出した後は、弾き出しの時の響きを持続しているのであり、この2つのことは実はまったく別のことなのだと思います。そして、弾き出す瞬間にどれだけの要素を音に込められるかが、華々しさやダイナミックさの大本にあるように思います。

プロの演奏をコンサートやDVDなどで見る機会があれば、弓が弦にタッチする瞬間の右手全体の動きに集中してみましょう。そしてその際には、右手の大きなモーションの中で、その瞬間にとても神経が払われているのだ、と思いながら観察してみましょう。音を弾き出す瞬間の心構えに似たものまで感じ取れるかもしれません。

さて、音の出だしがきちんといくために必要十分な動きなり力なりがつかめてくると、華々しさやダイナミックさというのは、その弾き出しをベースにした味付けのヴァリエーションでしかないことに気づくと思います。そして、その味付けのための細かい計算がまた可能になってくるのですね。

バイオリンの演奏も、(音楽の味付けにおける創造力という違う要素はあるとは言え、)演奏という行為自体について言えば、その他のお仕事と同じように、緻密に組み立てて初めてレベルの高い演奏にたどり着くことができると思い(ながら、私も日々精進してい)ます。
by violink | 2004-09-24 05:54 | Bowing

力を抜くことについて

これまでに何回か、脱力については書いてきましたが、今回は、もうひとつ別の視点から書いてみたいと思います。(これまでのものは、右のインデックスからRelaxationをクリックすると一度に見れます。)

レッスンなどで「力を抜いて!!」と言われるのは、大抵は、楽器を弾いているときに、弾くために必要な力以上の力が入っていて、演奏の妨げになっていることが指摘されているのですね。必要最小限の力で弾くことは、それはそれで大変重要ですが、弾いていないときの脱力ということが、案外出来ているようで出来ていないんですね。今回はその話です。

例えば、腹筋運動をやっているとして、1日100回という目標を作ったとします。50回やったところできつくなってきたら、少し休みを入れて力を抜きますよね。それで少しは回復して、さらに何回か出来るわけです。これを一気に休みなくやると、恐らく回数が少なくなってしまうでしょう。

バイオリンを弾くときも、音を出していないときは、楽器と弓を持つだけの力があればいいわけですね。その方が疲れずに長い時間弾けると思います。このアプローチを推し進めていくと、音を出していない状態(=楽器を構えていない状態)から、音を出す準備が出来た状態(=楽器を構えた状態)に移行するときの体の動きを如何に無駄なくするか、ということにもつながってきます。

よくバイオリンを習いはじめて間もない人が、楽器を構えるのに、肩の上で楽器を左右に動かしてみたり、頭の位置を変えてみたりしているのを見ますよね。一方、プロのバイオリニストの中には、一発でパクッと構えてしまう人が多いですね。

イメージの持ち方として、楽器を左手で持ち上げて、肩の上に置いて、顎ではさんで、右手を上げて、弓を弦の上に置いて。。。というように、楽器を構える動きを別々に捉えるのではなく、これらが一連のつながった動きだというようにイメージしてみることは、多少は役に立つかも知れません。
by violink | 2004-09-20 21:31 | Relaxation

<音楽という言葉>言葉から音楽を想像する

音楽を言葉に喩えることについては、いろいろな考え方があり、ある人は音楽の方が広い表現が可能だと言いますし、別の人は言葉の表現と音楽の表現の似ている点に着目したりします。

およそ表現というものは、表現する人とそれを受け取る人があって成り立つものですし、その意味では音楽、言葉という表現の媒体だけを取り出して議論しても、実際に表現されるものの違いにはつながっていかない話になってしまうわけですが、私自身は、言葉での経験から音楽の意図を想像することが多く、ある程度、音楽をどのように表現しようかという問いに対する答を出す際に、言葉がヒントになる部分はあるのではないかと考えています。

それは例えば、繰り返すことの意味です。同じ言葉を何度か繰り返して言うとき、そこには、一度しか言わないときとは違うニュアンスが込められているわけです。またそのニュアンスは、使った言葉や繰り返した回数だけではなくて、どのような速さで、どのような声で言ったのかによっても変わってきますね。

「早く!」と言ってから、「早く、早く!!」と言うと、相手が早くしないことにイライラして、相手に注意を促しているように聞こえます。

「そうだよね」と言ってから、「そうだよね、そうだよね」と言うと、相手に対する同意・同情の気持ちを、よりはっきりと相手に伝えようとしているように聞こえます。

こういうことを思い浮かべると、曲の中で同じような旋律が繰り返し出てくるような場合に、言葉に置き換えて捉えるというか、言葉の反復のニュアンスと似ているのかな? というような想像が働くようになるわけですね。

もちろん、作曲家がそれを意図したかどうかは分かり切れるものではありませんが、こういう想像を繰り返していくことによって、曲のパーツパーツという点が線でつながっていくように、全体が一つのものとして捉えられるようにもなってくるのだと思います。そうなると、曲の解釈と呼ばれる次元に一歩近づくのではないかと思うのです。
by violink | 2004-09-20 09:11 | Interpretation

弾きながらでは聞き取れないこと

練習や本番の内容を録音して後で聞き返すことが有益であることは、よく言われることです。そして、それはその通りなのですが、それでも、弾きながら注意をしていれば、録音までしなくてもある程度カバーできると思いがちですね。

録音してもしなくてもチェックできることと、録音しないと(=弾きながらの片手間では)なかなかチェックできないこととがあると思います。

録音しないとチェックできないことには、例えば、リズムの微妙なズレとか、音の長さの微妙な違いといったことがあります。傾向としては、符点のリズムなどは、テンポが速い方が厳し目のリズムになりがちで、その結果、そのリズムの動き自体が聞こえずらくなってしまいがちですね。また、音の長さについては、弓の返しの直前の音で意図しないディミヌエンドがかかってしまうことで、その音が短めに聞こえたり、そこで緊張感が抜けてしまうように聞こえるといったことがあります。

要は、音楽は聞こえてなんぼのものですが、それが意図したように聞こえないのであれば、聞こえるように工夫をしなければいけないわけですね。こういう観点からのチェックは、やはり自分を「聞く側」にきちんと置いてみないとできないことで、弾きながらの片手間というわけにはいかないと思います。

さて、話を戻しますと、符点のリズムが先ほど話したようになってしまうのは、恐らく自分の中で「リズムが甘くなってはいけない」という気持ちが強く、それが過度に音に表れた結果だと私は考えています。録音を聞くことによって、自分がやっていることとやろうとしていることとのギャップを感じ取り、それを補正してやる必要があるわけですね。

弓の返しの音については、自分が正しいと思っている音価よりたっぷり気味に弾くなどの「補正」を行うことが、時として必要になります。

ただし、自分の演奏を録音をすることが大切だと言っても、実は大切なのは、その録音を聞くときにどのような観点から聞くかということであり、そういう観点のレベルアップを心がけることが大切だと思います。音程を外した、とか、音が聞こえない、というレベルから始まって、上に書いたようなことにつながって、さらにその先も(=私の知らない世界)もあるのでしょう。本番の演奏であれば、会場の余韻との関係という観点もあるかも知れません。

アマチュアですから、あまり自分の演奏に批判的になるのもどうかとは思いますが、微分係数がごくごく小さな正の数値であっても正の数値であれば右上がりであるように、ごくごく小さな発見でもそれを続けていくことで演奏のレベルを少しずつ上げていくことができると思うので、普段から心がけていくといいと思いますね。
by violink | 2004-09-15 06:31 | Performance

聴覚の「あや」について

例えば、NHKのアナウンサーが普段私たちが話すときのような発音でニュースを読み上げたら、どう聞こえると思いますか?(NHKの「のど自慢」などで、合格の人とアナウンサーの人との短いやりとりなどを想像してみましょう。)発音があいまいで聞き取りにくかったりします。

自分が思っているようには、相手には聞こえないということなんでしょうね。そこで、NHKのアナウンサーは発音を少し誇張しているわけですね。こういうことは、音に関わる世界であれば、言葉であれ音楽であれ言えることだと思いますね。

音楽の表現も、自分でつけたはずの表現が、人には認識されなかったり、後で自分で録音を聞いてみても聞き取れなかったり、ということがありますね。NHKのアナウンサーではありませんが、多少の誇張を行う必要があるのだと思います。

例えば、クレッシェンドやディミヌエンドは、音量を均等に上げたり下げたりしても、さほどインパクトがないですよね。クレッシェンドであれば、最初は徐々に後に行くにしたがって大きくした方が効果的です。ディミヌエンドは、最初に大きく落として後は徐々に小さくする方が効果的ですね。

同じようなことは、ルバートの中でのリズムの取扱いについても言えますね。付点のリズムは3:1ですが、これをルバートして遅くするときには、後の方が1拍が長くなってきますから、普通にやっていると2.8:1.2というように、3:1よりもリズムが甘くなっているように聞こえます。したがって、気持ちとしては3.2:0.8くらいでやったりする必要があるんですね。

まあ、この辺のことは純粋に演奏効果の話なので、本番前の仕上げ段階で一度確認しておけばよいことだと思います。(もっと大切なことは山ほどありますよね。)
by violink | 2004-09-06 00:29 | Expression

<音楽という言葉>モーツァルトの茶目っ気?

セブンス・コードとは、例えば、C-durの場合であれば、C-E-G-Bの和音のことで、このBの音がブリッジになって、C-durからF-durへの転調を示唆するものですね。ところが、私がモーツァルトの作品を聞いて感じることは、こういう転調だけではなくて、C-durから、いったんG-durに後退したかのようにG-durのセブンス・コードを鳴らして、C-durに「戻ってくる」ようなセブンス・コードです。

例えば、バイオリン協奏曲第5番の第1楽章の冒頭で、バイオリンがCisからA-durのアルペジオを駆け上っていった先にあるD-H-Cis-Dですね。この音型は恰もE-durのセブンス・コードのように響きます。しばらくこの和音をベースに進んでいって、Cis-A-H-Cisの音型でA-durに戻るのですね。

これは面白いと思いました。というのは、この仕掛けのおかげで、戻ってきたあとのA-durの和声がとても新鮮な響きを身に纏っているからです。モーツァルトの作品には、このような仕掛けが随所にありますね。その度に新鮮なすがすがしい雰囲気が生まれています。

しかし、更に言えば、モーツァルトはこういうセブンス・コードの使い方の中でも、さらに使い分けをしていることに気づきます。その話に持っていくベースとなる話をまずしたいと思います。例えば、C-durからF-durに転調するためのブリッジとしてのC-durのセブンス・コードというのは、どちらかといえばC-dur寄りなのですね。C-E-G-Bの和音のベースがCであることからも分かると思います。モーツァルトは、時としてこのC-dur寄りのセブンス・コードをF-dur寄りにして使っているんですね。それは、Cを除いて、E-G-BとEをベースに持ってくることで、F-durの三和音であるF-A-CのベースのFの音に近づけているわけです。

先ほどの例では、A-durの世界の中でふと出てくるE-durのセブンス・コードですから、A-dur寄りの響きが欲しかったのでしょう。この例より少し先の、バイオリンがA-Gis-G-Fisと降りてくるところでは、E-dur寄りのH-durのセブンス、D-dur寄りのA-durのセブンスの響きが出てきます。こちらの方では、音の順序を引っくり返す(=というか根音を省略する)だけでそれ見事に表現しているんですね。

普通の大人が難しく考えそうなことを、いとも簡単にやってのけるような、モーツァルトの天才ぶりというか茶目っ気というか、そんなものを感じませんか?
by violink | 2004-09-03 09:13 | Interpretation

<音楽という言葉>次の音、次の調

音のつながりというものは、言うまでもなく一音の次に一音というように音がつながっていくわけですね。メロディーの骨格となる音のつながりが少し進歩すると、その骨格に飾りのための音が加わってくるのだと思います。とすると、この音の次にどの音が来るのかが、ひいてはそのメロディーのイメージを決めていくことになるわけですね。

その、どの音の後にどの音が来るのか、ということについては、長年の音楽の歴史の中で、一定の決まりごとがあるようにも思えます。決まりごとというと堅苦しいですが、少なくとも一定の規則に沿っているか沿っていないかということ自体が、その音のつながりから受ける印象を違ったものにするように思えます。

たとえば、C-durの世界でG→Hと来ると、Hの次はCが来そうな予感がしますね。C→Aと来ると、Aの次はGが来そうな予感がしませんか? G→Fと来るとEというように。さて、私は楽典というものを勉強したことがないのですが、感覚的には、C-durの世界の骨格を作っている音たちは、C、E、Gの3音であるように思います。そして、HはCを予感させる音、FはEを予感させる音、DはE、Cのどちらもあり、AはG、Hのどちらもありと感じます。そのように音が進むことを自然に感じるんですね。すると、このような進み方をしない場合には、ある印象を持つわけです。ごく軽い「違和感」のようなものですね。

さて、調のつながりということに目を向けてみます。ある調からある調に移ることを転調と言いますね。どのような転調が自然なんでしょうか? それは調を変えるのに手間のかからない転調なのだろうと思います。たとえば、C-durの音のうちHの音をBに変えると、F-durになりますね。次に、F-durの中のEをEsに変えると、今度はB-durになりますね。

このようにある調性を構成する音のうちの1音だけを変えることでできる新しい調への転調は、とても自然に聞こえますね。この方向で転調を進めていくと、C→F→B→Es→As→Des→Fis→H→E→A→D→G→Cで一周します。この逆も同じようにできますね。

さて、この隣り合った調同士の転調が自然だということですが、いくら自然だとは言っても、突然C-durからF-durにガチャッと切り替わると、それはそれで唐突に聞こえますね。そこで、C-durの世界の中で、Bの音をちらつかせておいてからF-durに移るんですね。そのような、いわば車が右折するときにウィンカーを出すようなサインにあたる音が、この場合のBの音で、C-durの三和音にBを加えたものをセブンス・コードとか呼ぶようですが、要は今書いたようなことに尽きるんではないでしょうか。

転調についても、このような自然な転調でない転調があります。それは、その「不自然さ」がある印象となって伝わってくるわけですね。しかも、ある調から別の調に移るための手続きは、おそらく上記の簡単な転調より複雑なはずであり、その手続きをどのようにこなしているかは、作曲家の腕の見せ所かも知れません。「おお、こうするかー?」と驚くような転調の仕掛けを発見するのは、パズルを解くような面白さがありますね。

今回は、異様に長くなってしまいました。。。
by violink | 2004-09-02 09:14 | Interpretation

音程の精度を高めるために

音程に対する注意は、払っても払いすぎることはなく、アマチュアはもちろんプロの演奏でも、集中力を欠いた演奏では音程が甘くなることがしばしばありますね。注意を払っても払い切れるものではない、という言い方もできると思います。完璧を目指してもなかなか完璧にはいかないものです。

そういうことなので、音程の精度を上げるための工夫をするということになってきます。自分の演奏を録音して聴いてみると、自分が如何にいい加減な音程で弾いているかということが分かるものですが、その「いい加減さ」にも大きく2種類あると思います。一つ目は、音程を聴くことが出来ていないといういい加減さで、この場合は、ゆっくりした音の動きで音程が外れても直せないということになります。二つ目は、音程を聴くことはできているが、音の動きが速すぎて注意が行き届かなかったり、音程を修正する時間的余裕がないといういい加減さで、この場合は、ゆっくりした動きでは音程がいいのに、速い動きになると微妙に音程がズレて聞こえるということになりますね。

前者は耳を鍛えるしかありませんが、後者はもう少し細かい工夫ができると思います。要は、細かい音のかたまりの中でも、たとえば人差し指でとる音だとか、ポジション移動の直後の音とか、自分が特に注意を払うチェックポイントのようなものをあらかじめ決めておくようにすることです。そして、基本的にはその音にだけ注意を払うようにし、それ以外の音は手の形が正しい音程を覚えるように反復練習をしていくということですね。

これは、頭の使い方の習慣のようなものなので、繰り返し練習するうちにこういうことが自然にできるようになってきます。そうすると、今までの何倍も弾きやすくなっているということに気づくと思います。
by violink | 2004-09-02 06:13 | Pitch