作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
by violink
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センスを磨いていくために。。。

人間の感覚というものは、使えば使うほど研ぎ澄まされていくものだと思いますが、それと同時に、使い方次第で研ぎ澄まされる方向に偏りが出てきたりすると思います。

慣れと言えば慣れなのでしょうが、例えば、臭いの強い部屋に入ったときには、「臭い!」と感じても、しばらく経つとそれほどには感じなくなりますよね。

音楽の感じ方とか、良い音に対するイメージというものも、これと同じようなことが言えるのではないかと思っています。自分が普段聞いている音の印象に慣らされていくのだと思います。

世の中は、余りにも雑多な種類の音であふれ返っているので、漫然と過ごしていると、その平均値のような感覚で、音というものを捉えがちになってきます。それで、美しい音を聴いても感動もしなければ、美しくない音を聴いても拒否反応がないということになりがちだと思います。

そうならないためには、、、自分で選択していくしかないのだと思います。

何が美しいもので、何がそうでないのか、、、誰も自信を持ってこれらを区別できないでしょうし、誰かにきちんと美醜の区別を示して欲しいと思うこともあるでしょう。

誰にもそんなことは教えられないのです。自分が美しいと思うものを大切にして、世に問うていくしかないのだと悟って、自分で自分のセンスを育てていくしかないのだと思います。

逆に言えば、人の数だけ様々な「美」の捉え方があってよいのだと思います。。。
そして、「美」の捉え方が自分と異なる人に出会うことによって、自分にとってその人の存在感というものが生まれるのではないかな、と思います。。。
by violink | 2005-10-18 21:14 | Others

自由と規律

クラシック音楽の音楽表現は、ジャズのようなアドリブではなく、楽譜に示された一定のルールに従うことが求められていますよね。その一定のルールの中で、如何に表現していくかというのが「腕の見せ所」という言い方もできるでしょう。

視覚上の錯覚として、二本の同じ長さの線の一方が他方より長く見えたり、平行な2本の線がゆがんで見えたり、ということは、誰でも経験したことがあると思います。

クラシック音楽の表現は、いわばその逆のアプローチであるように、僕には思えます。つまり、ゆがんだ2本の線なのに平行に見える、でも、直線が2本並んでいるのとは何かが違う、という感じでしょうか。

もちろん、ゆがみが極端になれば、とても平行な2本線には見えないので、どうゆがみを入れるかが重要になってくるのですね。程度問題とも言えますが、ある意味でその人にとって必然的なゆがみ、というところがより近いイメージかなと思います。

そのバランス感覚というのか、自分としては最大限表現しているが、一定のルールの中にきちんと収まっている、というのが、一つのゴールなのかなと思っています。

そういう演奏がいつでも出来るようになりたいものです。。。
by violink | 2005-10-18 20:41 | Expression

脱力のイメージ

バイオリンを習い始めた頃、先生から「力を抜いて」ということを何度となく言われながらも、その頃合いが分からずに困ったことがありました。

力を抜いてしまってはダイナミックな音は出ないという面もありますが、確かに、余計な力が入っていると、上手く弾けないのも事実ですよね。

一つの考え方として、僕は、「右手・左手の感覚が鋭敏なままに保てて、しかも楽器や弓を支えるのに足りるだけの最小限の力を使って弾く」という感覚で捉えています。

別に楽器を持っていてもいなくても、余計なところに力が入ると、肝心なところの感覚が鈍くなるものです。バイオリンを持つ場合では、左手で力が入るとすると、肩とか肘とかになりますが、ここに力が入ると、一番重要な、指と弦の接点の感覚など、ほとんど知覚できないと思います。

右手も然りで、肩や肘や手に力が入っていると、弓と弦の接点の感覚なぞほとんど感じることができなくなってしまいます。

こうした逆の視点から、脱力を捉えてみるのも、たまには良いのではないでしょうか。。。
by violink | 2005-10-17 21:57 | Relaxation

<番外編>B'zを聴いて

僕は基本的にクラシックしか聴かない人間です。まあ、時にジャズは聴きますが。
そんな人間がなぜB'zなんですかね、と自問しても始まりませんが、とにかく今日は、B'zをしっかり聴くシチュエーションがありました。

聴きながら感じたのは、心地よい眩暈というか、世界が時々角度を変えるような、そのたびに心地よい陶酔が訪れるというか。

僕はクラシック音楽を聴くときは、初めて聴くときには和声進行の予測をしながら聴いています。そして、その予測は当たりやすい作曲家とそうでない作曲家がいます。

ベートーヴェンやモーツァルトは予測しやすいですが、シューベルトはそうでもない。
マーラーは予測しやすい部分と予測不可能な部分が混在していて、プロコフィエフに至っては予測がほとんど当たらない、という感じでしょうか。

そしてB'zです。初めて聴く曲が多くて、和声進行の予測をしながら聴いていると、ある程度予想通りに進んでから、あるときフッと止まって、次の瞬間に予想もしない展開へとつながっていく、というような箇所が随所にあって、心地よい眩暈の原因となりました。

これはこれで、とても新鮮な感覚なのですが、ふとクラシックの世界に思考を戻すと、クラシックの作品も、作曲当時としては、そのような「心地よい眩暈」を感じながら聴いていた人も多かったのではないかと想像します。

僕たちが生きる現代は、音の刺激にあふれており、もはや作曲当時の刺激程度では、何も感じなくなってしまっているのかも知れませんが、ここで少しだけ自分の感覚をレトロな方向に戻してやることで、普段はなんとはなしに流している作品の中に、新鮮な驚きが見つかるのではないか、と思ったりしたんですね。

何というか、結局、B'zと全然関係ない話に戻ってきてしまいました。
by violink | 2005-10-10 22:48 | Others

画家と演奏家

僕は常々、演奏家は画家と似ていると思っています。

その心は、自分が表現したいことを表現し、表現したところで完結し、
それに対する人の評価は、結果としてついてくるだけだということですね。

もちろん、表現したいことだったら何でもいいのか?という疑問はあります。
自分本位な表現、その意味で人に受け入れられない表現というものは、
確かにあると思います。

でも、本当に自分が表現ということを真剣に考えているのであれば、
自分の中で自然に、人に対するメッセージとしての表現、それから、作曲家が
表現しようとしたこと、という要素が入ってくるのではないかと思うんですね。

だからこそ、画家が真剣に自分を表現した作品が人に受け入れられなかったとき、
画家は落ち込み悩むのだと思います。

それでも、やはり自分の表現をしていくしかない、というところに、
結局は立ち戻るのだと思います。

そういう突き詰まったところにある自分の表現というものを見つける「旅」を、
これからも続けていきたいと思っています。
by violink | 2005-10-10 09:25 | Others

演奏の説得力

言葉の説得力を左右するものは、ロジックであり真剣度であると思います。ただし、これらは両方が揃って初めて説得力があるというのではなく、それぞれにある種の説得力を醸し出すのだと思います。

カミソリのように切れるロジックで話されても、地に足の付いていない話であれば、「理屈はそうかも知れないけどさ。。。」という印象を持つかも知れませんし、ロジックはたどたどしくても、相手を見据えて力強く語られれば、その語る内容に圧倒されることにもなるでしょう。

演奏ということについても、説得力のある演奏とそうでない演奏というものがあって、それらを分けるものは、音楽の構成力と演奏者の姿勢であるように思います。弾くこと自体が楽しい、、、ということは結構なことだと思うのですが、弾くことを通じて何を表現しようとしているのか、さらには、自分にとって弾くことはどういう意味を持つのか、という問題提起の前には、極めてちっぽけなものになってしまいます。

本当の意味でのプロとアマチュアの違いは、こうした大きな問題提起を自分に向けながら演奏する人と、弾くこと自体が楽しいから弾く人、の違いだと思います。良し悪しではないのですが、こうした違いに意識を向けると、自分にとって聴く価値・知る価値のある演奏とそうでない演奏とが峻別できるようになると思います。

そして、演奏の持つ説得力とは一体どこから生まれてくるものなのか、ということについて、自分なりの見解が生まれると思いますし、その見解にしたがって、自分に対して訴えかけてくる演奏というものもまた、よく見えてくると思います。そして、その人の音楽体験をますます充実したものにしてくれると、僕は思っています、というか信じています。
by violink | 2005-10-06 18:24 | Interpretation

ダイナミック・レンジを広げるには

ダイナミック・レンジというと、音量の大小という連想をする人が多いと思います。しかし、ダイナミックであること、すなわち、音量が大きいことではないですね。音量が小さくてもダイナミックな音って、あると思うんですね。

バイオリンは小さな箱を鳴らしているので、音量を追求してもたかが知れています。その中で、どこまで大胆に力強い表現をしていくか。。。そこで、ダイナミックな音を追求していくことになります。一言で言えば、音の雰囲気の「差」でしょうか。

自分の演奏を録音して聞いてみるとよく思うことなのですが、ピアニッシモがピアニッシモらしくないとか、フォルテとピアノの差がついていないということがよくあります。そんなときに、巨匠と言われる人の演奏を聴いてみると、自分が思っていたほど激しいフォルテではないのに、確かにフォルテらしい力強い表現になっている、、、と感じることがよくあります。

何が違うのかと言えば、それはピアニッシモの響きの違いなのだと思います。楽器がきちんと鳴っていてしかも静かな音である、というのが、僕なりのピアニッシモの捉え方です。静かな音としてきちんと聞こえることが重要で、これが疎かになりやすいと思うんですね。

逆に、楽器がきちんと鳴ってきて、どこまで静かさを聞かせられるかを研究してみると、案外、自分の耳元では落としすぎと思うような音でも、実はきちんと聞こえている、という経験が増えてくると思います。そうなると、静かなニュアンスが表現できる分だけ、そうでない音のニュアンスとの差が付きやすくなるんだと思いますね。

。。。というわけで、ダイナミック・レンジを広げるには、音量ということではなく、音のニュアンスを広げるという捉え方がよいように思うんですね。
by violink | 2005-10-05 18:59 | Expression

メロディーのイメージの捉え方

スプリング・ソナタの第1楽章の冒頭と言えば、曲名を知らない人でもメロディーを知っている人は多いでしょう。楽譜を開いて、この一節を目の前にして、さてどう弾こうかな。。。と考えているシーンを想像してみてください。皆さんは何をしますか? それを想像してみてください。

僕がまず最初にすることは、和声の進行を把握することです。そこからこのメロディーの基本的な「色合い」が見えてくると思います。その上で、個々の和声が基音の上に乗ったものか、転回したものかを見ていきます。それによって、「地に足の付いた」雰囲気を持った部分なのか、上向き・下向きに動こうとしている部分なのか、ということを感じ取っていきます。

これだけのことをすると、このメロディーの歌い方のイメージが自分の中に沸いてきます。尤も、ピアノの伴奏型とか、メロディー自体の形とか、これ以外にもヒントはいくらでもあります。宝探しのような感覚でこういうものを観察していくと、さらに閃きがあったりしますね。

それから、そのイメージを効果的に伝える方法を考えていきます。音程を高め・低めにとるとか、ある音を少し強調気味にするとか、テンポをここで微妙に変えるとか、そういうアイディアが閃いてきます。そのときに、言葉に置き換えて、人に話しかけるような気持ちでやると、自然な感じに仕上がって来ますね。(実際に具体的な言葉に置き換えるわけではないのですが。。。)

ここまでは、実は楽器を持たなくても出来ることなので、歩きながら、電車で吊り皮につかまりながら、喫茶店で窓の外を眺めながら、いろいろなときにやっています。

その準備として必要なことは、楽譜が頭に入っているか、楽譜を常に携帯することだと思います。僕の場合は、楽譜が頭に入るまでは、楽譜そのものかその縮小コピーをよく持ち歩いていました。とは言っても、CDも聴いていますので、そちらから覚えていく部分もありますね。

逆に、自分がやりたいと思った表現を、たまたまCDを聞いて発見することができたときなどは、一種の達成感というか満足感というかがありますね。

いずれにせよ、美味しいモノに舌が慣れてくると、不味いモノが食べられなくなるように、「美味しい」表現で「舌」を肥やしたいものだと思いますね。。。
by violink | 2005-10-04 07:07 | Interpretation

弾き方と聞こえ方

あるフレーズを歌おうとするとき、誰もが考えることの一つに、テンポを揺らすことがあると思います。「揺らす」というのが曲者で、テンポを揺らしてはいけないのだと思っています。それでも、CDを聞くと、インテンポとは言えないケースがあると思います。あれをどう理解すれば良いのでしょうか。

「テンポを揺らす」のと「テンポが揺れる」のとでは、意味合いが全く違うのだと、僕は思っています。「テンポが揺れる」のは、揺れる理由があるからで、「テンポを揺らす」のは、揺らしているからに過ぎないのですね。

音楽的な意味を考えるとき、揺れる理由があって「テンポが揺れる」必要があるのだと思います。CDを聞くときに、そのような感覚を持ちながら聞くようにすると、演奏家の意図ひいては作曲家の意図(と自分に思えるもの)が見えてくると思います。

現象だけ捉えれば、揺れているテンポに注意が向きやすいのは仕方がないとして、どう揺れているかに気持ちが向きすぎると、何故揺れているのかが疎かになると思います。

実は、テンポが揺れているのではなく、その特定の一音を強調したくて、そのためにその音のところだけ微妙に長く弾いているのだ。。。ということもあるかも知れません。そして、その音を強調して聴かせることには、音楽的な意味合いが潜んでいるかも知れません。

理屈ばかりこねていてもつまらないですが、テンポの揺れが、楽譜に書かれた音符に込められた作曲家の意図を反映しようと演奏家がした結果なのだ、と考えるなら、やはり、テンポの揺れを単に現象として捉えてコピーするのではなく、その背後にある意図に思いを馳せてみることに意味があるのではないかと思っています。
by violink | 2005-10-04 01:52 | Tempo