作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
by violink
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テンポの揺らし方

表情を込めようとするときに、テンポを揺らしますよね。でも、揺らしてみると、結構、前後関係がいびつになったり、大げさになり過ぎたりして、上手くいかないことが多いですね。

そこで、僕は発想を変えてみることにしました。テンポを「揺らす」のではなく、テンポを「つなぐ」という感じ方です。一つの曲の中で、音楽は様々な表情を見せてくれます。そして、その表情と表情とが自然につながる、とか、突然変わるとか、そういうことがきちんと聞こえることが、音楽全体の表情を聞かせることにつながるのだと思います。

一つ一つの箇所への思いを掘り下げていって、それが具体的な音やテンポのイメージになるところまで来ると、後は、一つ一つの表現のブロックをつなぎ合わせる作業になってくるのだと思います。そのつなぎの作業の中で、いろいろな試行錯誤をしてみると、どこかでピタッと来るつなぎ方が閃くはずです。

この作業が最高に楽しい。。。音楽は、演奏することも楽しいのですが、演奏する前に、自分の中で音楽を組み立てる作業、試行錯誤というか推敲というか、その「実験」は、本番の何倍も楽しいのです。自分の中で一つの作品を理解しようとする試み、それ自体が、僕が音楽に関わっている目的になっています。人前で実際に楽器を演奏するのは、そのカケラを披露することでしかなく、また、時間もあっという間に過ぎてしまうので、聴いている人は損をした気分になるのではないでしょうか。(笑)
# by violink | 2006-07-09 10:00 | Expression

生きているという感覚

日常生活に追われているときには決して感じないけれども、それがふと途切れたときや、何かのきっかけで、生きているという、ただそれだけのことが、何物にも変えがたい言葉に出来ない喜びというか充実感というか、そういうものを感じたことはありませんか。

普段気にしていることがうそのように気にならなくなり、何か本質的なものを悟ってしまったかのような感覚、自分が周囲のあらゆるものに置いている価値の序列が一瞬のうちに崩れて、これまでとは全く異なる序列に並び替えられたような感覚、そんな経験はありませんか。

僕は、ときどきそのように感じることがあって、そんなときにたまたま音楽を聴いていると、音楽がどうのこうのというよりも、そこに確かに存在している演奏家という一人の人間、その人間の生きざまに思いを馳せているのです。

もちろん面識もなく、その演奏家の生き方を知るべくもないのですが、それでも何かが伝わってくるような感じがするのですね。それは、音楽そのものというより、音楽に向かう姿勢といった方が近いかも知れません。

そして、そんなことを感じている自分自身。演奏家という生きている存在。その演奏を聴いている自分という生きている存在。そういう2人が同じ時代にたまたま生きているということに偶然を感じ、また、喜びを感じ、と何を書いているのか、自分でも分からなくなりつつありますが、、、、何か感じ取っていただけるでしょうか。

おそらく音楽に限らず、およそ人の営みに付きまとう「生」という感覚。でも、その営みの抽象性が高ければ高いほど、自分にとって共感できる可能性が広がるのだと思います。

音楽を聴いていて、こんなことを感じる状態にいつもなるわけではありませんが、僕自身にとっては、音楽の持つ効用というか特性というか、そういうものの一つには違いないと思っています。

音楽による癒しということも、案外、こういうことが背景にあってのことかも知れませんね。

这边中文版
# by violink | 2006-07-04 01:25 | My Feeling

テンポ設定のヒント

楽譜に書かれているテンポは、ごくごく大雑把なものでしかありません。ライブでの演奏のテンポを測ってみても、CDの演奏のテンポを測ってみても、実際のテンポの変化は、楽譜に書かれている場所以外でも頻繁になされています。

インテンポの中での揺らしという言い方もできるのでしょうが、言い方はともかく、テンポをどうするということは、音楽表現に直結するものですので、テンポを動かすことによって、その箇所の印象が前後との関係でどう変わってくるのか、ということを常に意識することが大切だと思っています。

そういう実験めいたアプローチと同様に、いや、それ以上に大切なのは、楽譜の背後にある作曲家の意図でしょうね。それをどう読み取るか。ヒントは楽譜にしかありません。楽譜にしか、とは言いましたが、それなりにヒントは転がっているものだと思います。

思い付く限り、ヒントになりそうなものを並べてみると、調性、メロディーの音型(特に、どこに頂点があるか、大切な音はどれかなど)、伴奏の音型(特に、音符の粗密の変化など)、その楽章全体の中での位置づけ、ダイナミクス、響きの厚さ薄さ(実際の響きではなく楽譜上の音の多さのようなもの)、などなど。。。

直感で処理できるように、究極的にはなっていくのだと思いますが、それまでのプロセスでは、こうしたヒントをいちいち意識して、音楽をどういう流れに持って行くのか、考える方が、得るものは多いと思っています。

这边中文版
# by violink | 2006-06-25 19:04 | Tempo

反響を味方につける

昨日、とある教会で、室内楽のコンサートがありました。

とても響きのよい会場で、音楽を演奏するにも聴くにも、これほどの環境はなかなかないな、と思いながら、顔を上げたり下げたり、左右を向いたりして、どのように響いているのか、少し気をつけて聴いてみました。

すると、面白いことに気が付いたのですが、楽器の向きによって聞こえてくる音が違う。。。というか、直接飛んでくる音と、反響して戻ってくる音とが両方あいまって、えもいわれぬ響きになっているということなのです。

これは、頭で考えても分かることではあります。ただし、実際に会場で聞いてみると、確かに直接音と反響音があるのですが、それらがきちんと一つの響きにまとまる場合とそうでない場合があるんですね。

反響を味方につけるとは、その直接音と反響音の両方を協力させて、深い響きのあるサウンドにしていこう、と簡単に言えばそういうことです。

僕のイメージでは、音のスピードというのはコントロールできるもので、会場の大きさによって、反響音が戻るタイミングがズレることに気をつけながら、音のスピードをコントロールしてやることが、この「協力」のためには不可欠な感じがしています。

まあ、この話題、昨日のコンサートでの閃きをそのまま書き下したようなレベルですので、僕自身もよく消化できていません。その辺は、作者自身のメモということでお許しいただくとして、皆さんもそんなことを感じたことはありませんか?

这边中文版
# by violink | 2006-06-18 19:01 | Sound

テンポ・コントロールのコツ

さて、この直前にアップしたメモの話の続きです。

そうは言っても、テンポも露骨に変えるわけには行きません。せっかく小回りの利くアプローチなのですから、そこは工夫が必要だと思います。

テンポのコントロールでは、なにしろ、カウントする単位が重要だと思っています。メトロノーム上でいくつ、ということは置いておくとして、同じテンポでも四分音符で数えるか、十六分音符で数えるかで、やはり微妙にテンポ感が違ってきます。

例えば、ブラームスの交響曲第2番第1楽章のエンディングの部分、ホルンの旋律と弦のピチカートですね。この2つの動きを微妙に異なるテンポ感で処理したいと思います。とは言っても、基本、一緒に演奏しているわけですから、噛み合わないと話になりませんね。

そこでカウントする単位で工夫するわけです。ホルンは1小節1カウント、弦は八分音符1カウント、これで自然に出てくるテンポのニュアンスの違いが欲しいのですね。全体を一緒に聴いている側にいると、ゆったりしたテンポとサクサク進むテンポが交互に出てくるような、それでいて、流れは一定であるような、そんな聞こえ方を目指したいものです。

まあ、今回のお話は、何も目新しいこともないのですが、余りに平凡で立体感のない演奏を改善しようとするときのきっかけになるポイントだったりしますので、敢えて取り上げてみました。
# by violink | 2006-06-04 22:25 | Expression

音楽の味付けとテンポ

インテンポと聞くと、まず、同じテンポを保つことを考えますね。逆にインテンポでないとは、楽譜に異なる速度標記がしてあったり、アッチェレやリットが出てくるところだと思います。

さて、テンポの揺らぎということを考えてみると、楽譜に書くほどのことでもなく(=書いていてはキリがなく)、また、そうだからと言って、いわゆる「インテンポ」とも違うということだと思います。

楽譜に書かれず、しかも、いわゆる「インテンポ」でない、中間のテンポ・コントロールというものが、音楽の味付けの上で、とても大きな意味を持っているということを、最近、感じています。

これは、テンポという言い方もできますし、もう少し細かく、それぞれの音の入るタイミング、次の音に移るタイミングという言い方もできると思います。

音量や音色によってつく表情も確かにあるのですが、これらはいわば基本的な味付けの部分なので、小回りが利かないというか、音量や音色をいじってしまうと、それこそ、味付けが大きく変わってきます。

テンポの微妙なコントロールに気を使うことで、その小回りが利いて、微妙なニュアンスが表現できるように思います。

例えば、先日のメモで取り上げたブラームスの交響曲第4番の第1楽章ですが、冒頭のバイオリンに出てくるHG、EC、AFis、DisHという動き一つをとってみても、下行と上行の2つの音の動き方を別々に意識してみると、うねりのようなものを上手く表現できると思うんですね。

こういうことを、音の小さな塊、大きな塊、というようなそれぞれの単位で「実験」してみることで、立体的な構造が表現しやすくなると思います。

今後、いちいちこのブログに書きませんが、個人的には、このようなアプローチでいろいろなシンフォニーを捉え直してみて、何れは、どこかのアマチュア・オケで、下振りや分奏の一歩手前の段階で、実験をさせてもらえないかな。。。と、秘かに夢見る今日この頃です。全然、秘かじゃありませんが。。。(笑)
# by violink | 2006-06-04 12:54 | Expression

3連符で一番大切な音は?

ブラームス交響曲第4番。。。それは、僕にとっては、大学オケでコンマスを務めたときのメインの曲でして、それこそ、スコアの隅々まで目を走らせ、本番の後では、打上げでの酔いの勢いに任せて、指揮者の先生に、本番でお使いのスコアを所望し、いただいてしまったほどの曲なのですが、本日、通勤途中で、久しぶりに全曲を通して「聴いて」みました。

第1楽章の第2主題というのでしょうか、木管がDis-(E-F-Fis) Fis-E-Dis C-(Cis-Dis-E) B-(H-Dis-Fis) H...というところです。ハイフンがないところが小節線で、カッコで括ったところが3連符になっていますね。どこのことかイメージできますか?

ここを頭の中で流しながら、(もっと正確に言うと、その直前のところ(=低弦が3連符を弾いているところ。)からのつながりを「研究」していたのですが。)ふと、3連符の音の移り方のタイミングに思いが集中したんですね。

一般に、4拍子系の曲の中で出てくる3連符には、意外さ・新鮮というニュアンスがあると、僕は思っています。ここの木管は、どちらかと言えば意外さよりも新鮮さかな、と思いますが、それをよく聞かせるためには、2つ目の音への移り方が大切だと思っています。ここで「3連符だ!」ということが認識されるからですね。

そういう耳でいろいろ聞いてみると、ここの移り方が微妙に遅くて、重たい雰囲気になってしまうことが、よくあるんですね。2つ目の音が遅くなると、3つ目の音も必然的に遅くなってしまうので、全体が遅く重たく聞こえてしまうんですね。

逆に、2つ目の音がスパッと移れると、清々しい3連符のニュアンスが出ると思います。そして、このニュアンスに慣れると、「病み付き」になりますね。

さて、忘れがちなのは、3連符があれば、その後にいつもの2連の世界に戻るということですね。その瞬間に「戻った!」ということが聞こえないといけないわけです。そのためには、どんな工夫がありますかね? 僕なりには答があるのですが、敢えてopen questionということにしておきたいと思います。答は、みなさんにお任せします。。。(笑)
# by violink | 2006-05-25 21:49 | Rhythm

フレージングと音の変わり目

お久しぶりです。一応、生きております。。。(笑)

このブログの更新がないときは、忙しいというより、書くネタがないときなので、どうぞご心配なく。その代わり、ネタが尽きないときは、それこそ1日数回書き込むこともあります。

さて、今回はフレージングをどう聞かせるかということで、フレーズとフレーズの間に間合いをとる、というようなことだけでなく、むしろ、フレーズの頭の音の入るタイミングを工夫するということです。

音楽が流れていってしまう、というのは、音の変わり目が中途半端に早いためですが、そこに気をつけながら、音の変わり目を丁寧にやると、そこにフレーズ感が生まれると思いますね。

極端に言えば、音がつながっていても、音の変わり目のタイミングを工夫することで、フレーズ感を表現できると思います。そして、音の変わり目は、大抵は、髪の毛一本分だけ早めに行ってしまうことが、僕自身の場合は多いので、気をつけています。

もちろん、丁寧にやりすぎて、音楽の流れが損なわれてしまうと、本末転倒ですね。

その頃合いを掴むためには、本当は邪道だと思いますが、CDに合わせて弾いてみる、ということは有効ですね。自分に聞こえているとおりに弾こうとすると、音の変わり目のタイミングで、想像以上に待ちが必要だったり、その逆だったり、ということが体験できると思います。

要は、CDに合わせて弾かないでもそういう感覚が分かるようになれば、良いわけですよね。そのためのステップということでしょうか。
# by violink | 2006-05-21 22:34 | Phrasing

楽器側での弓速のコントロール

弓速のコントロールは、表情豊かな演奏には不可欠で、極端に言えば、一音一音の弓幅を明確にイメージすべきものだと思っています。それでも実際には、なかなか一音ごとに弓幅を変えるのは大変なので、どうしても大まかになってしまいますが。

その弓幅こそが弓の速さを決めているわけですね。音の長さは決まっているわけですから、多く弓を使う=速い、少ない弓で弾く=遅い、という関係になります。

そして、より細かくなると、一音の中での弓の速さという話になってきて、cresc.とかdecresc.があれば、一音の中で弓の速さを上げたり落としたり、ということをしますね。これもある程度は大雑把な話です。

そもそも、右手だけで弓の速さをコントロールしようとしても、なかなか難しい。ある程度より細かいコントロールは無理とも言えます。却って、唐突になったりして不自然に聞こえるのが関の山ですね。

そこで、左手というか、楽器の側で助けてやるわけです。昔、理科の時間に相対速度というのを習ったことありませんか? その考え方の応用です。弓と同じ方向に楽器を平行移動させると(平行移動であることが大切なのですが)、弓速は遅くなりますし、逆は速くなりますね。

この、楽器の平行移動は、結構細かくコントロールできるので、弓速の細かいコントロールに役立ちますね。つまらない話では、ロングトーンで弓が足りなくなったときなど、楽器を少し動かしてやることで、多少、持たせることができます。

楽器側のコントロールが自然に行くと、これはもう、音楽の表情にとても貢献してくれるので、あまり不自然にならない程度に取り入れたいものですね。
# by violink | 2006-04-02 18:43 | Bowing

聴き手に届いて初めて表現される

コンサートの録音(ホールの後ろの方での)を、聴いてみて、自分が思ったほどには表現がついていない、ということはよくありますよね。表現したのに聞こえていない、のではなく、聞こえるほどには表現されていない、ということです。

どうすれば表現として聞こえるのか、これは、耳元での聞こえ方からホールの後ろに届く音をイメージできるか、と言い換えられると思います。そして、それはとても難しいことのように思われがちです。しかし、大きくは2つの点に集約されるように思います。

一つは音質の問題。もう一つは「身振り」の問題。

まず、音質の問題ですが、遠くに届く音というのは、途中で減衰する要素が少ない音、つまり、ピュアな音であると思います。一方、耳元でしか聞こえない音というのは、ノイズの多い音だと言えます。そこで、耳元でできるだけピュアに聞こえる音を出していく、ということです。

ピュアな音は、小さな音でも遠くまで届くんですね。ですから、遠くまで届かせようと思えば、その分ピュアな音を目指すと言ってもいいと思います。もちろん、遠くまで届くからといって、大きな音で聞こえるわけではないので、ダイナミクスの話は別にあるわけですが。

もう一つの「身振り」の問題は、単に聞こえるだけでは、聴いている側に印象が残りにくいということで、いわばテレビのキャスターのような、歯切れのよいメリハリの利いた表現を心がけるということでしょうか。

今回のトピックは、バイオリンの演奏のごく基本の部分の話でありながら、日頃、疎かになりやすいことだと思います。僕自身にとっては、永遠の課題であります。。。
# by violink | 2006-04-01 17:17 | Performance

調性の変化

調性の変化とは、つまり転調ということですが、ひとことで転調と割り切れない世界が、ここにはあると思います。

日本語で「転ぶ」というと、「転ぶ前の状態」→「転んだ後の状態」と一足飛びに行くわけですが、転調というのは、そういう「転」のニュアンスでは、必ずしもないんですね。

もちろん、小節線をまたいで調性が変わる(=譜面上も、実際上も)ということは、普通にいろいろあります。しかし、それだけではなくて、前の調性と後ろの調性が一時期重なり合っているような場合もありますし、前の調性から後ろの調性がセオリー通りの分かりやすい場合もあれば、どうしてこの調性からあの調性へ? というような奇抜なものもあります。

こういう奇抜な転調の例は、プロコフィエフの作品などでよくみられるものですね。奇抜な転調は、セオリー通りに行かないところにある種のエネルギーを感じますし、そういうエネルギーを使って転調させている、というような、いわば「力ずく」というニュアンスが欲しいところです。

転調を巡る表現の仕方は、どの調性からどの調性への転調であるか、特に、それがセオリー通りの転調か、いささか奇抜な転調かによって、表現の仕方自体が変わってくると思いますね。
# by violink | 2006-03-30 13:36 | Expression

本番で出来ること(最後のあがき?)

練習に練習を重ねて、待ちに待った本番。緊張感と興奮のピークは案外短く、気が付いてみれば、本番後のビールに思いが行っている自分を発見。。。というのは、アマチュアのプレイヤーの宿命でしょうか。

それはともかく、本番の当日を迎えて、ステリハを終えて、お客が入って、ステージが明るくなって。。。ステージに出て行って、曲が始まって。。。

ここまで来ると、もう練習などとは言っていられませんね。後は実力を出し切るのみ!!

と、張り切るわけですが、実力を出す方も大切ですが、仕上がりを考えると、ボロを出さないことも負けず劣らず大切だと思うのですね。

あまり、こういう角度からばかり考えると、折角の本番なのに現実臭が漂って、つまらなくなっても困りますが、ボロが聞こえないようにするのも、お客様への礼儀の一つだと、僕は考えています。

さて、ボロを出さないためには、ボロが出そうな予兆を早め早めに感じ取っていくことが大切ですね。と言っても、ある程度直前にならないと、その予兆は分からないものですが。

演奏というのは流れなので、あることが上手く行かないと、それに続くところがコケたりするものです。そういうちょっとした、「何かいつも通りに行っていないな」という感じを、敏感につかまえるようにすれば、ボロが出る予兆は、案外簡単に分かると思います。

ただし、敏感につかまえるためには、集中力を相当高めておく必要があるので、こちらの方が大変だと思いますね。。。。
# by violink | 2006-03-29 18:20 | Performance

全ての音にヴィブラートを!!

ヴィブラートをかける・かけないは、音色に表れますよね。ヴィブなしですと、どうしても音が鋭い感じがしますし、何しろ、無機質な感じに聞こえますね。

それで、全ての音にヴィブラートを!!となるわけです。が、

だがしかし、そう簡単には行きません。やはり、習慣になるまでには、それなりに意識的にやらないと、いとも簡単に、あの音が、この音が、ノン・ヴィブになってしまいます。

特に、ノン・ヴィブになりやすい音。。。それは、短い音ですね。一応、ヴィブラートというものには、音域によって速さを変えて、幅を変えて、とセオリーどおりのアプローチはあるのですが、短い音では、そうも言っていられません。せめて、一往復半くらいはしないとですね、ヴィブラートをかけたようには聞こえないんですね。

そこで、短い音では速いヴィブラートが必要になりますし、幅も狭いのがベターですね。この辺はやってみると分かります。短い音で幅広のヴィブをかけると、音程も何もあったものではありません。

しかし、短い音にまでヴィブラートが綺麗にかかっていると、もう、楽器の響きが全然違ってきますね。是非、目指したいものです。

ちなみに、KURTURというレーベルで出ているハイフェッツのビデオでは、ヴィニャフスキーのスケルツォ・タランテラのスローモーションが収録されているのですが、あの早回しの一音一音にヴィブがかかっていることが分かります。正直、圧倒されましたね。
# by violink | 2006-03-27 20:11 | Vibrato

何を誰に合わせるか?

3年目にして初めてのensembleコーナーです。。。

何を誰に合わせるか?

何を? これは、音程とリズム、そしてダイナミクス、音色くらいでしょうか。これらが揃えば、一応、まとまりのよいアンサンブルに聞こえると思います。

そして、誰に? まず、分かりやすいところで音程です。音程はメロディーに合わせるのが当然ですね? 当然ですか? いや、当然ではないと、僕は思っています。細かい音符の人がそうでない人に合わせるのが基本だと思っています。例えば、ロングトーンの音程を途中でコロコロ変えるわけに行きませんよね。

リズムについてはどうでしょう? タテの線を揃えることも、広くはここに含まれます。こちらの方は、細かい音符の方に合わせるのが基本ですよね。

ここまでは分かりやすいところで、少し事情が違うのが、ダイナミクスと音色でしょうか。

ダイナミクスは、まず、低音と高音のバランス、メロディーと伴奏のバランス、そして、調性上、響きの安定感を得るためのバランス、この3つだと僕は考えています。これらをクロス・チェックして、妥当なところに落ち着くと、ほぼ完璧なダイナミクスが得られると思います。難しいのは、cresc.やdecresc.が出てくるところですね。低音と高音のバランス上、高音が出過ぎると響きが安定しないので(そういう効果を狙う場合は別ですが)、cresc.は先に低音が上がり、decresc.は後で低音が終わるように、音域によって多少頂点や底に到達するタイミングをズラすと、よりそれらしく聞こえますね。

最後に音色です。これは、全体で一つに揃えるのか、役割に応じて異なる音色を並存させるのか、考えどころだと思います。厳密には、楽器の音色は一本ごとに違いますので、弾き方を揃える(駒からの距離とか、弓のスピードとか、弓先・弓元で弾くとか)ことに帰着しますね。

アンサンブルの練習をしていて、何かしっくり来ないときは、これらの4つの観点のそれぞれについて、自分の演奏をチェックしてみると、案外簡単に解決のきっかけがつかめるかも知れません。尤も、それ以前に個人練習不足ということも、現実には多いのですが。。。
# by violink | 2006-03-24 07:33 | Ensemble

Qコーナーを設置します(宣言)

おかげさまで、このブログも2周年を迎えました。この間、細々と記事更新を重ね、記事の数は、300に迫ろうとしております。

このブログの趣旨である、僕自身の頭の整理ということに関しても、おかげさまで、相当役立っております。ちなみに、頭の整理だけでなく、気持ちの整理にも役立っているというのが、正直なところですが。。。

さて、皆さんからいろいろなコメントを頂戴してきましたが、中には、僕からの回答を期待しておられる内容のものもあります。そこで、Qコーナーを設置することにしました。

なぜ、Q&Aコーナーでないのかと言うと、回答をするかどうかは、僕自身の独断で決めるからです。いわゆる「教えて君」的なQは、僕以外の方でも答えられますし、単なる情報提供であれば、僕以上にモノ知りの方は沢山いらっしゃいます。そういうQではなく、僕なりの見方・考え方に関するQを期待しています。そして、そのようなQのうち、僕なりに回答できるものに限って回答したいと思います。

回答は、内容が一般的なものであればこのブログで、かなりマニアックな内容であれば個別に回答したいと思います。この後者のオペレーションをするには、このブログのコメント欄を使うと、返信用のメアドを書いてください、とか、面倒なので、思い切って、専用メアドを設置します。

回答は1週間以内を目処にしますので、1週間以内に回答がなければ、僕に回答するネタがないか能力がないかどちらかだと思って、割り切っていただきたく。(笑)

メアドは、violinkblog@yahoo.co.jp です。

なお、2週間試験運用し、その後も継続するかどうかは、その時点で考えたいと思います。
# by violink | 2006-03-23 12:30 | Q&A

音程に関するセンス

音程とは、正しい・誤りの二元論で割り切れるようにみえて、実はそうではないと思っています。というのも、プロのバイオリニストも、厳密には、一人一人違う音程感覚で演奏していて、それでいて、誰かが音程を外しているわけではないからです。(明らかに音程が。。。という方も、いらっしゃるかも知れませんが。。。)

ただし、聞いていて不自然に感じる音程というのは、確かにあると思います。自分の「音程体系」の中で、そういう不自然な音がないようにすることが、音程に関する勉強の到達点なのだろうなと思います。

では、音程に関するセンスとは何かと言うと、それは、自分の「音程体系」のバックグラウンドにある思想のようなものでしょうか。こういう箇所はこういう音程(高め、低めなど)でやりたい、というような思いというか、考えというか、そういうものを、自分の取り組む作品の中の要所要所について、きちんと持ち合わせているということが、即ち、音程に関するセンスがあるということではないかと思うんですね。

僕自身も、最近は、そういう意味でのセンスを磨くために、気を配っていますが、大切なことは、正解がないということで、何か正解を探すようなモードで取り組んでも、一向に解決しないのですね。むしろ、いろいろ試行錯誤しながら、自分にとって心地よいポイントを探っていくような感じでしょうか。そういう作業を繰り返す中で、逆に、自分にとって心地よい音程が「発見」できるように思います。

その「心地よい」音程が、他の人にとって心地よいかどうか、、、それは、、、また別問題でしょうか。。。(笑)
# by violink | 2006-03-22 21:31 | Pitch

ヴィブラートが仇になる!?

楽器の響きの上でも、歌を表現するためにも、ヴィブラートは必需品だと言えますね。逆に、ヴィブラートをかけることによって、かかり方の違いや、かけていないときとの差が、意図してかどうかに関係なく、音楽の一つの表現になってしまいますし、響きにも影響が出てきます。

ですから、ヴィブラートはかける必要があるとして、まずは、均質にかけることが基本で、これが出来てから幅や速さ、あるいはかけるかけない、といったヴァリエーションを追求するのがよいと思っています。

無理なく、均質にかけることができるヴィブラートの幅や速さは、人によって違うと思います。自分にとっての幅、速さを見極めて、まずは、その幅、速さで均質にかけることが先決だと思いますね。

特に難しいのは、音の変わり目をヴィブラートでつないでいくことですね。音程を探っている状態では、ヴィブラートをかけることで音程が更に取りにくくなる面があるので、ノンヴィブラートで音程の練習を行うのが先かも知れません。

それから、ヴィブラートというと、音程の上下であるわけですが、ヴィブラートらしく聞こえるのは、それによって楽器の響きが「かき混ぜられる」からだと思いますね。その意味で、音程の幅を聞くのではなく、正しい音程とそこから少し外れた音程との間で往復することで、楽器の響きが規則的な変化をすることに注目するのがよいと思っています。
# by violink | 2006-03-22 07:02 | Vibrato

美しい音を出すために

バイオリンの美しい音は、弾く人も聴く人も魅了してやまないものですが、その本質は正しい音程と豊かな響きにあるので、美しい音を目指した練習は、これらを分けて行うことが多いと思います。大まかには、音程は左手、響きは右手の練習になってきます。

さて、音程については、正しいかどうかが問題になりますので、誤りを正していくというアプローチになりますね。(音楽表現上、敢えて高め(低め)にとるということはあるでしょうが。)逆に、○×がはっきりしやすいので、どこに問題があって練習が必要か、ということが分かりやすいと思います。

音程の練習に関して難しいのは、正しい音程が分かっていても、諸般の事情からその音程を安定的にとることができないケースが多いことですね。諸般の事情とは、左手のメカニックに関するいろいろな問題です。一つの音の音程をとるにも、その音の前後の音列如何で、左手がその音程を取りに行くプロセスは、千差万別ですよね。現象としては、音程がとれていない、というただ一言で済むことが、原因としては様々なものがあるので、それを正しく把握して、しかも、その問題を取り除くための効率的な練習方法を考案しないといけません。

一方の響きについては、どうでしょうか。

僕が難しいと思うことは、響きについては、音程以上に主観的な要素が入ってくるために、なかなか、「これが良い響きというものだ!」と断じることができないことに起因するものです。どのように楽器が鳴っている状態を、よく響いている状態というのか、統一されたイメージがあるわけではないと思います。

そんな中で、自分が良い音だと思える音の響きのイメージを持つ、ということが大切になってきます。そして、そのためには、バイオリンの音そのものに対する自分のセンスを磨いていくことが必要になると思いますね。

バイオリンという楽器は、音程が違うと、木の振動の仕方が変わります。木材は均質ではないので、振動の仕方には個体差が大きいと思いますが、いずれにしても、音程が違うと木の振動の仕方が変わるので、音毎に響きや音色も微妙に違っています。

そんな中で、名手の演奏などを聞いて、自分の好みがはっきりしている音に意識を集中して、その響きや音質を追求する中で、音程の違いに依存しない、良い響きに共通するファクターが感じ取れるようになるように思いますね。
# by violink | 2006-03-20 07:00 | Sound

モーツァルトの音程

モーツァルトは難しい、とよく言われるのですが、最近、その作品をいくつか練習する機会があって、そのことを痛感しています。

何が難しいかと言えば、僕なりに感じるのは、音の出し方と音程ということです。

音の出し方というのは、グリュミオーの音のように、純度の高いサラッとした音を出すには、音の弾き出しをスムーズに行い、かつ、正しい音程で弾き出すことが不可欠ですが、これがなかなか難しいですね。

音程というのは、明るさと暗さをきちんと弾き分けて、しかも、明るくなり過ぎず、暗くなり過ぎず、という当たりで上手く泳いでいくのが、とても難しいです。音程のコントロールということを、一音一音の音程の正確さ、というミクロの視点からだけみていると、とても気が回り切りません。木を見て森も見るという離れ業が必要だと思っています。

さらに言えば、例えば、弦楽トリオについては、3つのパートの中でのメロディーと伴奏の役割分担だけでなく、バイオリンの中で第1メロディーと第2メロディー、ビオラとチェロが伴奏、という箇所がいろいろ出てきます。こういう箇所で、2つのメロディーを弾き分けて立体的に聞こえるようにすることも、難しいです。

それでも、このようなポイントを少しずつクリアしていく中で、自分なりに少しはモーツァルトらしくなったかな、と思えると楽しくなってきますね。
# by violink | 2006-03-14 18:20 | Pitch

半音階の死角

速めのテンポの半音階が出てくるときに、僕がまず最初に考えるのは、フィンガリングです。というのは、半音階は指に覚えさせてしまえば、簡単に弾けるようになるからで、特に、できるだけ規則的なフィンガリングを使うように心がけています。

と、簡単にやり過ごしてきた半音階なのですが、最近になって、半音階の音程が異常に悪いことに気づきました。弾いているときも、後から録音を聞き返すときも、一音一音の音程が正しいかどうかを聞き分けていくことは、テンポが速過ぎてできないので、音程を直すにも、どの音の音程を直せばよいのか、直ちには分かりません。

もちろん、練習の段階では、ゆっくりしたテンポからさらうのは当然として、徐々にテンポを上げていくという練習をしていっても、インテンポで弾くとそれなりに音程の悪さが気になるということはあるものです。これは、一音一音が短すぎて音程を修正しようにもそれができない、ということとも関係があります。

そこで、どうするかですが、その半音階が属している曲の調性を考え、その調にとって重要な音(根音、ドミナント、サブドミナント当たりでしょうか?)のところだけでも、音程を気をつけるようにするわけです。それ以外の音は、割り切ってしまいます。

こうすることで、①注意を払うべき音を限定することで、音程の精度を上げることができる、②主要な音の音程がきちんとしていれば、半音階の動き全体も割と良い音程で弾いているように聞こえやすい、という2つのメリットがありますね。
# by violink | 2006-03-14 05:34 | Pitch

音程への神経の使い方

バイオリンという楽器は、音程を自分で作る楽器なので、正しい音程の音を出すということに関して、音が出る瞬間まで気が抜けない面がありますね。この点は、ピアノと大きく異なると思います。

また、音が出る瞬間に神経を張りつめているかどうかによって、音程をアジャストするのにかかる時間が違ってきます。神経を張りつめて、正しい音程を頭の中で鳴らしながら弾くかどうか、ということですね。

こういう緊張感をもって弾いているかどうかは、人の演奏を聞いていても何となく分かることがあります。ある意味では、バイオリンらしい音は、このような緊張感を伴っていることで初めて出てくる、という言い方もできるのではないかと思ったりもします。

しかし、弾いている間ずっと神経を張りつめていると、無用に疲れますので、緊張感のコントロールが大切でしょうね。
# by violink | 2006-03-09 12:42 | Pitch

音楽表現のイメージ

表現というものは、表現する人がいて、表現したいという欲求があって、表現されて、それを受け取る人がいて、初めて成立するものですね。表現する人、表現を受け取る人の、少なくとも2人以上の人間が関わる行為だと言えます。

人が違うと何かと違いますよね。同じ言葉を使っても、同じ風景を見ても、同じものを食べても、全く同じ受け取り方をすることは皆無ですね。それには、性格の違いもあるでしょうし、生きてきた環境、経験の違いもあるでしょう。

そういう中で、音楽を使って自分が表現したいと思うことを、ピンポイントで伝えるのは、ほとんど不可能ではないかと思っています。そして、自分が表現したいことに近いものを相手が受け取ってくれるかどうか、ということが次に来ますね。

優れた芸術作品は、音楽であれ絵画であれ、多くの人を魅了するものです。それは、音楽の巨匠、絵画の巨匠の表現した世界が、人生経験その他いろいろな違いのある人々からみて、人によって違うとしても、何らかの感銘を受けるだけの広さ、深さ(=異なる立場からみても感銘を受けるような)を、その作品が持っているからだと思います。

さて、次元はずっと低くなりますが、僕たちが音で表現するという場合でも、やはり、表現の背景に持つ世界は出来るだけ広く持っておきたい。作曲家が楽譜を通して表現しようとしたことを、楽譜から読み取るというより、楽譜を介して垣間見るというような、そういうイメージで作品と向き合いたいと思うこの頃です。

そういう目線でいろいろな演奏を聴いてみると、音としての処理の仕方は違っていても、背後にある世界は共通しているな、と思える演奏が随分あるものです。音を通じて直接感じ取れる部分と、音から察して間接的に感じ取れる部分との振り分けが、演奏家によって違うということなのではないかと思っています。
# by violink | 2006-03-03 06:40 | Expression

聴けるテンポでの練習

こういう言い方はよくされるのですが、ここでは少し違う意味のことを書こうとしています。

普通、「聴ける」というのは、楽譜通りに弾けているか聴ける、ということで、音程、リズム、テンポなどなど、いわば、楽譜上の情報を正しく音に置き換えられているか、という観点から「聴けるかどうか」に注目しています。

これは、WHATの世界であるのに対し、HOWの世界に目を向けてみたいと思います。

HOWとは、ここでは、音の役割ということです。最も分かりやすいところではメロディーと伴奏、更に踏み込めば和声同士の関係、装飾的な音とコアである音、などといった捉え方ができると思います。残念ながら、音の役割については、楽譜の中には明示されていません。それだけ、音符の並び方をみれば自明ということなのでしょうが、WHATの練習では、なかなかそこまで辿り着かないものです。

このように、WHATの練習に比べ、HOWの練習は、はるかに複雑なので、処理すべき情報量、こなすべき思考プロセスが増大すると思います。尤も、これには慣れの面もあるので、慣れてくれば時間をかけずにできるのかも知れません。

また、聴けるテンポという点でも、WHATの練習よりもHOWの練習の方が、ゆっくりしたテンポでやる必要があります。希代の伝説的なピアニストである田中希代子さんという方は、弾いた音が消える瞬間まで聞き届けることを生徒に求めた、という話もあります。

行き届いた演奏を目指す人にとっては、そういうHOWの練習が不可欠なのだろうなと、最近は何かにつけて感じるようになりました。それだけ、優れた演奏に接する機会が増えたということかも知れません。
# by violink | 2006-03-02 06:38 | Practise

多重の動きへの慣れ

バイオリンは基本的には単音楽器で伴奏付で演奏されることが多く、伴奏はピアノなりオケなり、自分以外の人が担当するので、どうしても、自分のパートだけに注意が向きがちになりますね。

これがピアノではそうは行かず、右手と左手で複数のパート(場合によっては5パートとか。)を弾き分けていたりしますので、ピアノ弾きの頭の中では、それだけのパートが同時発音する場合も含めて、音情報が処理されているのでしょうね。

この違いが、長年の楽器のトレーニングの中で、音楽を捉えるセンサーの感度という点で、大きな差になっていくような気がしています。バイオリン弾きの場合は、恰も自分が3本手を持っていて、右手でバイオリンのメロディーを、中手と左手で伴奏を同時に意識する、というような感覚を持ちながらやっていかないと、永遠にピアノ弾きのセンサーには太刀打ちできないと思います。

デジタルピアノの同時発音数の性能の違いみたいなものでしょうかね。

自分が知っているピアノ曲の楽譜をみながら、頭の中で実際の音を鳴らしていくというトレーニングは、バイオリン弾きがそういう感覚を養うためにとても有益だと思っています。

話は飛びますが、そういう目でショパンの舟歌の楽譜を眺めたりすると、聴いているだけでは分からない規則性のようなものがみえたりします。革命のエチュードの右手の下行音型もそうですね。面白いものですね。
# by violink | 2006-03-01 06:37 | Practise

<番外編>ショパンの舟歌

昨年10月のショパン・コンクールで優勝したプレハッチ氏(ポーランド)がこのコンクールで演奏した舟歌を、最近、CDで聴く機会がありました。この曲は、ショパンのピアノ曲の中でも最も好きな曲の1つです。演奏自体、いろいろな意味で素晴らしかったのだと思いますが、僕にとっては、演奏の素晴らしさより、むしろ、この曲自体の素晴らしさを再発見させてもらったような気がしました。再現芸術の極致を感じさせる演奏でした。

この曲には、水面の光の揺らぎ、船の揺らぎ、周囲の景色の揺らぎのような、自分が船に乗っていたならば目で見、体で感じるであろうことが、長短様々なフレーズの絡み合いの中で、いわば、小波、中波、大波のように表現されているように感じました。ところどころ、水面で小さく光が散ってキラキラと反射するかのようなニュアンスが、トリルで表現されていて、とても綺麗です。

船が進むときの感じ。。。手漕ぎであれば、オールで水を掻いているときとそうでないときとで、船が進む速さは違いますね。。。そんな船の感覚も、冒頭からしばらくして始まる左手の音型で表現されているように感じます。曲が進行していくことに、水面の光の揺らぎ、船の揺らぎ、周囲の景色の揺らぎなど、恰も自分自身が船に乗っていて、目で見て体で感じるであろうことが、そのまま音を通じて伝わってくるようでした。

5年ほど前にヴェネチアを散歩していたときの運河の風景を思い出しました。。。
# by violink | 2006-02-28 12:40 | Others

ダブルトリルの練習

ダブルトリルの練習をするときにネックになるのは、例えば、1-3と2-4のトリルであれば、中指と小指を同時に上げ下げすることですね。これはメカニックに関する問題であり、いろいろなトレーニング方法があると思います。

そういうオーソドックスなトレーニングをまずきちんとやるというのが前提です。

その上で、今回は視点を変えてみます。というのは、トレーニングによって、ある程度、これらの指の独立性が確保できるようになるとは言え、手の構造上、完全に独立した状態にはならないからです。

したがって、ある程度、独立性を鍛えるトレーニングをしたら、今度は、1の指を指板に置き、2、3、4の指で一度にトリルの練習をしてみます。音は出さずに、全ての指が同じタイミングで指板に落ちることだけを確認しながらやります。その動きを続けながら、3の指だけを最小限の力で弦を押さえるようにします。すると、動きとしては、3本の指でトリルをしている動きでありながら、1、3の指は指板にあるので、実際には、ダブルトリルと同じ動きになりますね。

これは、いわば発想の転換であり、また、薬指に余計な力を入れないための暗示でもあります。無理に、2、4の指だけを動かそうとすると、却って薬指に力が入ってしまうことがあるんですね。このことに対処するためのアプローチです。

0-2、1-3のダブルトリルについても、同様のことが言えると思います。

ところで、指同士の独立性を高めるためには、その動きに関与する指全部を使って、ありとあらゆる組合せのヴァリエーションを練習するということも有益です。これについては、別の機会に書いてみようと思います。

今回の話は、理解の仕方を変えるだけのことなのですが、それで、格段に弾きやすくなる場合がありますので、いろいろ工夫のしがいがありますね。
# by violink | 2006-02-27 18:19 | Practise

漫然とした練習との決別

漫然と練習をしても上手くならない、と言われますが、では、どのように練習すればよいか。その答は、自分の弾けないところが弾けるようになるように練習する、ということに尽きますね。では、どうすれば弾けないところが弾けるようになるのか。

まず、どのような状態になれば弾けているといえるのか、そのイメージを明確に持つ必要がありますね。そして、自分の現在の状態がその弾けているイメージと比べてどうなのか、を把握する必要があります。このイメージをきちんと持つことができれば、次は、極めてゆっくりしたテンポであれば弾けるのかどうかをチェックすることになります。

それでも弾けないとなれば、それは基本的なメカニックができていないので、まずはそのメカニックを鍛える必要がありますね。そのためにはエチュードというものが役に立つことがあります。使い方次第ですね。エチュードとは、これが弾ければメカニックとしてはそれなりの曲が弾ける、ということを示すテストのようなものだと、僕は考えています。

言い換えれば、エチュードを練習するための方法がきちんとしている必要があって、それは、結局は上に書いたようなことになってくるのだと思います。基本的なメカニックをゼロから身につけるには、やはりきちんとしたレッスンを受けるのが本来だと思います。

さて、基本的なメカニックができていれば、次は、自分が弾けるテンポを見つけ、インテンポに向けて徐々にテンポを上げていくことになりますね。そのときに、あのテンポでは弾けるのにこのテンポでは上手くいかない、ということに必ず遭遇します。そこで立ち止まって、何が上手く行っていないのかを確認することが大切ですね。次は、その上手くいっていないポイントだけを練習するわけです。

こうしてテンポを上げていくと、インテンポで弾けるという状態にたどり着きますね。さて、ここで練習が終わりかというと、そうではなくて、今度は、同じことが何度でもできるかどうか、安定的に弾けるかどうかということになってきます。安定的に弾くためには、繰り返し弾いて体に馴染ませるしかありません。逆に、体に馴染ませないと、右手と左手の両方に注意が向きにくくなるので、動きがバラバラになってしまいます。

いろいろ書きましたが、僕自身、練習の仕方は未だに模索中です。限られた時間の中でどれだけの効果をあげるか、という現実的な課題があります。しかし、上に書いた手順は基本的にはこのとおり辿るしかないと考えています。その中で、自分の演奏の問題点なり、その解決法なりについて、引き出しの数が増えるほど、練習も効率的にできるようになるように思いますね。
# by violink | 2006-02-27 12:56 | Practise

表現の形骸化

よく言われることですが、日本語の「ごめんなさい」は英語のI'm sorry.とかI apologize ...とは違うといいますね。日本語の場合、そのような言葉を発したことで、反省の姿勢をみせることになり、反省された方は水に流す、という筋書きが出来上がっているようです。そんな中で、生活のシーンには、「ごめんなさい」と言わないと収まりが悪いが、言いさえすればOKと思しきシーンが山ほどあります。逆に、言われた方が煮え切らないでいると、「だから、謝っているじゃないか」と、立場が逆転しかねない場合もありますね。

これは一例に過ぎず、言葉の世界では表現が独り歩きし、いわば手続きのように、「失礼しました」とか「ありがとうございます」とか、まるで自動応答のように使ってそれで双方が済ませているケースが多くなっているとも言えます。それだけ、個々の表現のニュアンスが軽視されているというか、気にされない世の中なのでしょう。

音楽の世界でも、表現ということに関して似たようなことが起こりかねないと、僕は考えています。ルバートをしているのに、その意味がこもっていないとか、ピアニッシモのところなのに、なぜかヴィブラートを目いっぱいかけているとか、例はいくらでもあると思います。

表現のニュアンスを意識せずに表現手段を使ってしまうと、何となく表現されているような雰囲気にはなりますが、その表現を行う意図が聴いている人に決して伝わらず、むしろ違和感を感じさせてしまうことになると思います。逆に、自分が無意識に「表現」してしまっている箇所があれば、これを一旦「無表情」の世界に引き戻してから、表現の仕方を見直してみると、かなり改善される場合もあると思いますね。
# by violink | 2006-02-26 05:17 | Expression

<音探し>ブラームスのコンチェルト(続編)

さて、先ほどの続きです。

冒頭の悩みの箇所とほぼ同じ動きが、カデンツァの後で出てきます。ここはどう弾こうかと。ソロが弾く主題は同じですが、オケの伴奏が違っています。冒頭よりも多彩な和声で彩られています。DCisHAと動いていくファゴットはどこかのどかな雰囲気ですし、その先も穏やかな雰囲気ですね。嵐の前というわけではないですが、その先に「嵐」が待っています。その前触れ的な穏やかさ、冒頭の華やかさとの対比としての穏やかさ、こうしたニュアンスをやはり出したいと思います。動に対する静ですね。

冒頭と同じ動きが、より多彩な和声で彩られていて、昔を回想するような、しかも美化された昔を思い起こしているような、そんな印象を持ちます。だからなのか、この主題を2回目にソロが弾き始めるときの和声は、同じD-durの三和音の雰囲気でありながら、ほとんどDの単音のように、AとFisのニュアンスがずっと後退しています。ここをバーンとDFisAで響かせたら、華やかな響きになっていたでしょうが、そうなってはいません。また、オケの伴奏を含めて、冒頭よりも薄目になっていますね。

そんなことから、僕は、この2回目の第1主題の入りは、静かな、動きのない雰囲気で入りたいと思います。そう思いながら、頭の中では音が鳴っています。直前のCisに対するDの音程も、許される限り低く取りたいと思います。直前のA-durのセブンスの雰囲気からD-durに入ったところで、華やかなニュアンスになってしまうことを出来るだけ避けたいと思います。弓の返しも工夫したいですし、ヴィブラートもほとんど要らない感じです。ファゴットと2人でデュエットをしているような、小さな世界、室内楽のような世界を、ここでは作ってみたいと思います。

静の後には動が来ますね。それをどこからにしようかと。ソロがHGHGisCisHAGと動いていきます。この辺りからでしょうか。最初のHGと次のHGisとでは、同じHでも静と動のコントラストのようなニュアンスを出したいと思います。そこから徐々に盛り上がっていく感じです。GからGisへ、この半音が出てきたことで、そういう動きがスタートしたように感じます。それを表現したいと思います。

今回は、割と音のイメージが早めに出来ました。後は練習するだけです。。。(笑)
# by violink | 2006-02-24 20:20 | My Feeling

<音探し>ブラームスのコンチェルト

僕が一番好きなコンチェルトです。好きな曲ですから、何度も頭の中で鳴らし、ソロ・パート全体とオケ伴奏の和声進行・主要なメロディーは覚えました。それで、ヘッドホンを掛けずに、CDプレイヤーを持ち歩かずにいつでもどこでも、この曲を「聴く」ことができるので、今朝は、この曲の第1楽章を「鳴らし」ながらの通勤でした。

ソロが始まって、アルペジオが終わって、下行の長い音型、上行の長い音型、そしてトリルを経て、第1主題です。この第1主題に入るところの歌い方は、これまで余り意識したことがなかったのですが、今日は何故かここに意識が集中して、これまでとは違ったニュアンスが突如閃きました。

音型としては、AGEH(CCisD)-trill(Cis,D)-(HCis)-DFisDHAFisADFisAFisDAFisE という動きですが、この前半のところですね。ちなみに、( )内は装飾音です。第1主題の最初のDの音に向かって、終止形に向かっていく動きが、終わらずに第1主題に入っていく、という形なのですが、ここで終止形に向かっていくニュアンスを、かなり存在感のあるニュアンスとして、今日は初めて意識しました。

何でこんなに存在感を意識するのだろうかと、後になって分析してみると、ソロが弾き始めてからこの瞬間までで、終止形のニュアンスが出てくるのは、実は、ここが初めてなんですね。大きな一つのフレーズが終わるような感覚、それを、この第1主題の直前の動きの中でどう表現するか。

例によって、いろいろなテンポで、音量で、音のニュアンスで、試行錯誤をしてみました。(頭の中でのことなので、何度でも手軽に実験できますね。) 終止形の終わりであり、第1主題の始まりであるDの音への入り方と音のニュアンスだけを、何度も繰り返してみたのですが、結局、しっくり来るものが見つかりません。

感情的には、こういう感じ、というのがあるのですが、具体的な音に置き換えられずにいます。ここまで来ると膠着状態で、どうにもならないので、とりあえず一旦は忘れてしまうことにします。いずれまた思い出したときに、この「課題」に取り組むことになるでしょう。

まとまりませんが、今回は、これまでになかった切り口で書いてみました。
# by violink | 2006-02-24 19:46 | My Feeling