作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
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<番外編>ゲヴァントハウス弦楽四重奏団

昨日、紀尾井ホールで聴いてまいりました。

200年近くの歴史を持つ弦楽四重奏団による、伝統的なスタイルに忠実な、格調高い演奏でした。。。と、一言で言えばそうなりますが、僕が何しろ感動したのは、伝統的なスタイルの中にも散りばめられた色彩感覚のようなものに対してだったと思います。

ベートーヴェンというと、やはりスタイルがまずあるでしょうし、そこから大きく外れる演奏をしないように、と演奏する側も気をつけるでしょうし、また、聴く側にも、演奏者がそのことに神経を使っていることが聞えてしまったりもします。

しかし、スタイルというものは独り歩きしやすいものだと感じたのですね。本来は、色彩感を含めてスタイルなのでしょう。画家の絵と同じですよね。構図とか色彩とかが全体としてその画家のスタイルになっていると思います。ところが、形式ばったものに当てはめようとするあまり、そうした躍動感のようなものが抜け落ちてしまうことが多いのだと思います。スタイルが独り歩きした結果ですね。

「○○さんらしい。。。」という言い方を、僕たちはよく聞きますね。自分が持っている○○さんのイメージとピッタリくるときに、思わず出てしまう言葉だと思います。ところが一方で、「○○さんにもそんなことがあるのか。。。」という言葉も、劣らずよく聞くものです。言いたかったことは、ひとつのスタイルの中にも意外性というものが許容されているということで、少なくとも、個々の人間に対して僕たちが持つイメージに関しては、そういうことが現実にあるわけです。

さて、話を戻すと、音楽にもそういう側面があるのではないかと、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団の演奏を聴きながら感じたのですね。もちろん、実際には意外性といってもごく少量のスパイスのようなものだと思います。逆に言えば、スタイルがきちんとしているからこそ、少量のスパイスがピリリと利いてくるとも言えると思います。

人間でもそうですよね。意外性というのは、逆に、意外でない部分がはっきりとあるからこそ意外なのであって、そうでなければ何が普通で何が意外かも区別ができないですよね。

スタイルがきちんとしているので、少量のスパイスが意外性を表現する。そして、それは少量であるからこそ、スタイルの中にきちんと納まる。。。ということを感じました。尤も、このことは、何も目新しいことでもなく、既に、いろいろな言葉で表現されてきたことだと思います。

さて、そういう目でみて、弾く人間として特に印象に残ったのは、第一バイオリンに随所に出てくるいわゆる「早回し」的なフレーズのこなし方です。ガシガシと一音一音しっかり立てて弾く、というのでなく、むしろ音と音との区切れは最低限にしてサラサラと弾いていく、という感じです。

音符の細かいところが主役とは、必ずしも限らないということなのですね。技術的なこともあって概して目立ってしまいがちなのですが、そう弾かなくてもぜんぜん違和感がない、というか、そう弾くものではないのだな、と思えました。

言葉にならない部分も含めて、大変いろいろなことを感じさせてくれました。伝統のある弦楽四重奏団だけあって、チェロの方は1973年からやっているそうです。32年間というのは、サラリーマンで言えばほぼ終身雇用期間の全体ですよね。それを同じ「ポスト」で勤め上げてきたとは。。。こういうところにも、音楽の奥の深さ、無限にある探求のネタということを感じました。
# by violink | 2005-12-12 06:54 | Concert | Comments(0)

表現方法 vs 表現したいこと

表現の仕方を学んで、それを自分で出来るようにする。。。というのは、この世界の常道ですが、僕は、表現の仕方を学ぶ前のステップがあると思うんですね。

それは、僕は、(専門家ではありませんが、)ワイン作りにも似たようなものだと思っています。材料(ブドウ)は同じでも、出来上がったワインの味わいは千差万別ですよね。土壌のような自然条件による部分もあれば、醸造方法という技術的な部分もあって、それらをどう組み合わせるかは、おそらく醸造家の哲学によるのでしょう。

何れにせよ、そういうわけで、どのようなワインを目指すのか、ということ自体が醸造家によって違うということだと思います。そして、その仕上がった後の姿を味わって、皆さん楽しんでいるわけです。あまりオーダーメードという話も聞きませんし。

人それぞれ味の好みがあるでしょうし、誰かに贈るとすれば贈る相手の好みも考えるでしょう。様々な数え切れない種類の個性を持ったワインが世の中で誰かに飲まれているのですね。そこには、まず表現ありき(=飲む人の好みに合わせるというのではなく)という精神があるような気がします。

話が随分遠回りをしてしまいましたが、要は、楽器の演奏でも、同じようなアプローチがあってよいのではないのかと思うんですね。もちろん、私はワインに詳しいわけではないので、私がアナロジーで捉えていることが、実際にどうなのかは分からないのですが、言いたかったことは、何を表現したいか→どうすればそれを表現できるか、という順序でアプローチすることに意味があるのではないか、ということなんですね。

このアプローチは、楽器を弾く方でなくてもおそらく出来るし、また、現にやっている方もおられると思います。楽器を弾く方でも、まず、何を表現するか、というところから入っていくことで、自分の演奏はもちろんですが、人の演奏を鑑賞するときの感動(あるいは失望)の度合いも、一際ではないかなと。そして、それは広い意味で音楽を味わう機会の充実につながるのではないかな。。。とまあ、思うわけですね。
# by violink | 2005-12-11 22:49 | Expression | Comments(0)

<番外編>CDのご紹介

先日来、往年の巨匠ダヴィッド・オイストラフが1955年に日本のビクターのスタジオで行った録音がCD化されたものを聞いています。

何しろ音がリアルで、しかも音源までの距離が体感では1~2mという感じですので、音の出だしから表現から息づかいから、それこそ何から何まで手に取るように聞こえてきます。オイストラフの演奏で、これだけのリアルなものが聴けるCDがあるとは思っていませんでした。

再生装置の良し悪しにもよるでしょうが、オイストラフがストラドから弾き出す素晴らしいサウンドを聴くことができるCDです。天上の響きと自分の響きとは、もちろん比べるべくもないのですが、それでも、演奏上のいろいろなヒントが得られるCDだと思いました。

僕は、音源に近いところにマイクを立てて録音したものが大変好きだということもあって、このCDはとても楽しめます。(一方、同じシリーズで出ているユーディ・メニューインの1950年頃の来日の際のスタジオ録音の方は、音源までの距離がある程度あるようで、オイストラフの録音ほどクリアには聴こえないようです。)

久々に、「永久保存版」のCDに出会いました。。。
# by violink | 2005-11-26 23:38 | Others | Comments(0)

負の循環(音作りの話)

バイオリンの場合、音をつぶし始めると、どんどん負の循環にはまっていきますね。楽器が鳴らない方向に、どんどん楽器を慣らして行っているにも等しい状況になってきます。

これは、音が遠くに届いている(=したがって、楽器がよく鳴っている)という感覚を知らずして、やみくもに頑張るために、却って手近かなところでしか聞こえない音を出してしまっているのだと思います。

遠くに届く音は、手許では比較的静かですね。それはノイズが少ないからですが、逆に、それだからこそ、自分の周囲にノイズの多い音があると、それに消されやすい。(というか、消されてしまっているように、自分には聞こえます。)

これは、新作の楽器はノイズが多いとか古い楽器はノイズが少ないという事情もあるとは言え、やはり、どういう弾き方をしているか、また、その弾き方に楽器が慣れているかということこそが本質だと、僕は考えています。要するに良い弾き方でも楽器が慣れていなければ遠くに届かないということで、その間には、どうしてもタイムラグがあるので、正しい弾き方をしてこのタイムラグを乗り越えて行く必要があるということだと思いますね。

何れにせよ、どのような音の出方であれば遠くに音が届いているのか、という感覚を磨く努力が大切だと思いますね。それなくしては、オーケストラなどに入って弾くと、自分もまたがむしゃらに頑張ってしまうことなってしまい、良いサウンドどころではなくなってしまうと思います。
# by violink | 2005-11-21 12:24 | Sound | Comments(0)

アマチュアとしての本懐

先日、人前でソロ曲を演奏する機会がありました。

アマチュアとプロということをあまり気にしても仕方がないのですが、やはり、質の高い演奏という点では、アマチュアなりの制約がありますので、そういう制約を背負いながら人前で演奏することの意味について、自分なりにどう考えるか、という問題が、これまでも常につきまとってきました。

そのような中で、先日の演奏に対する反応を聞いて、自分なりに割り切れたことがあります。それは、聞き手が意味を感じてくれたかどうか。。。の一点に尽きます。

弾く側からすれば、人前で弾くこと自体が一つの経験ですし、目標となりますので、練習の張り合いにもなります。そういう意味があるのだと思います。その上で、聞く側にとってはどうか。。。この点は、実際には聞く人それぞれかも知れません。少なくとも、アマチュアの演奏に対して、聞く側が意味を見いだすとすれば、演奏の水準自体が高いということではないと思うのですね。

逆に、演奏の水準が高くても、それだけで聞き手が満足するのかといえば、そういうことではないと思うのですね。(これは、プロの演奏についても言えることかも知れませんが。。。)

話が深みにはまってきましたので、多少戻しますと、先日の演奏に対する反応は、「気持ちよかった」だったのですね。「上手かった」というコメントでなかったことに、僕はある意味を感じ取りました。(もちろん、上手くなかったからだとは思いますが。。。(笑))

恐らく、演奏した場所の雰囲気、演奏した自分の心境、聞いていた人たちの心境、天気などなど、演奏の水準自体とは直接関係ないものも含めて、いろいろな要素が合わさってそのような印象が作られたのだと思いますが、とにかくも、そのような印象を持っていただけたことが、アマチュアの演奏家としてこの上なく幸せに感じたのですね。

何か、自画自賛のようになってしまいましたが、共感していただけるでしょうか?
# by violink | 2005-11-09 12:27 | Others | Comments(11)

自分の演奏から学ぶこと

自分の演奏(といってもソロというより室内楽がほとんど)を録音して、後で聞き返すことによって、いろいろ見えてくるものがありますね。ただし、冷静になってみると、自然に見えてくるものは限られていると思います。

僕の場合は、往々にして、ミクロの世界に注意が向きがちになります。それは例えば、音程・テンポ・タテの線といったようなことです。それはもちろん、そのようなことについて、自分の演奏に問題があるからなのですが、こういうミクロの世界だけに目がいくと、より大局的な演奏の状況に目が向きにくくなるんですね。最近、そういうことを気にするようになりました。

さて、ミクロの世界でない世界とは、例えば、サウンドやフレーズ感などです。サウンドはバイオリンにとって命のようなもので、我々、バイオリン弾きとして最も意識すべきものだと思いますので、やはり録音を聴くときには無視できない要素だと思います。

ただし、録音自体が相当精度の高いものでないと、サウンドの良し悪しまでは分かりません。この点が悩ましいところです。

次に、フレーズ感については、これは目指すべきフレーズ感を自分が持っているかどうかで、録音を聞き直したときに自分自身が受ける印象が変わってくるわけですので、もともと、息の長いフレーズ感を持っておくことが大切だと思いますが、その上で、録音を聞き直すときに、長いフレーズ感が出ているかどうかをみることが大切だと思います。

それから、多少細かいことで聞き落としやすいこととして、アップとダウンでの微妙な音の違いがフレーズ感を壊していることがあったりしますね。。。

とりあえず、思いついたことをいろいろ書いてみました。
# by violink | 2005-11-01 12:45 | Practise | Comments(1)

センスを磨いていくために。。。

人間の感覚というものは、使えば使うほど研ぎ澄まされていくものだと思いますが、それと同時に、使い方次第で研ぎ澄まされる方向に偏りが出てきたりすると思います。

慣れと言えば慣れなのでしょうが、例えば、臭いの強い部屋に入ったときには、「臭い!」と感じても、しばらく経つとそれほどには感じなくなりますよね。

音楽の感じ方とか、良い音に対するイメージというものも、これと同じようなことが言えるのではないかと思っています。自分が普段聞いている音の印象に慣らされていくのだと思います。

世の中は、余りにも雑多な種類の音であふれ返っているので、漫然と過ごしていると、その平均値のような感覚で、音というものを捉えがちになってきます。それで、美しい音を聴いても感動もしなければ、美しくない音を聴いても拒否反応がないということになりがちだと思います。

そうならないためには、、、自分で選択していくしかないのだと思います。

何が美しいもので、何がそうでないのか、、、誰も自信を持ってこれらを区別できないでしょうし、誰かにきちんと美醜の区別を示して欲しいと思うこともあるでしょう。

誰にもそんなことは教えられないのです。自分が美しいと思うものを大切にして、世に問うていくしかないのだと悟って、自分で自分のセンスを育てていくしかないのだと思います。

逆に言えば、人の数だけ様々な「美」の捉え方があってよいのだと思います。。。
そして、「美」の捉え方が自分と異なる人に出会うことによって、自分にとってその人の存在感というものが生まれるのではないかな、と思います。。。
# by violink | 2005-10-18 21:14 | Others | Comments(0)

自由と規律

クラシック音楽の音楽表現は、ジャズのようなアドリブではなく、楽譜に示された一定のルールに従うことが求められていますよね。その一定のルールの中で、如何に表現していくかというのが「腕の見せ所」という言い方もできるでしょう。

視覚上の錯覚として、二本の同じ長さの線の一方が他方より長く見えたり、平行な2本の線がゆがんで見えたり、ということは、誰でも経験したことがあると思います。

クラシック音楽の表現は、いわばその逆のアプローチであるように、僕には思えます。つまり、ゆがんだ2本の線なのに平行に見える、でも、直線が2本並んでいるのとは何かが違う、という感じでしょうか。

もちろん、ゆがみが極端になれば、とても平行な2本線には見えないので、どうゆがみを入れるかが重要になってくるのですね。程度問題とも言えますが、ある意味でその人にとって必然的なゆがみ、というところがより近いイメージかなと思います。

そのバランス感覚というのか、自分としては最大限表現しているが、一定のルールの中にきちんと収まっている、というのが、一つのゴールなのかなと思っています。

そういう演奏がいつでも出来るようになりたいものです。。。
# by violink | 2005-10-18 20:41 | Expression | Comments(1)

脱力のイメージ

バイオリンを習い始めた頃、先生から「力を抜いて」ということを何度となく言われながらも、その頃合いが分からずに困ったことがありました。

力を抜いてしまってはダイナミックな音は出ないという面もありますが、確かに、余計な力が入っていると、上手く弾けないのも事実ですよね。

一つの考え方として、僕は、「右手・左手の感覚が鋭敏なままに保てて、しかも楽器や弓を支えるのに足りるだけの最小限の力を使って弾く」という感覚で捉えています。

別に楽器を持っていてもいなくても、余計なところに力が入ると、肝心なところの感覚が鈍くなるものです。バイオリンを持つ場合では、左手で力が入るとすると、肩とか肘とかになりますが、ここに力が入ると、一番重要な、指と弦の接点の感覚など、ほとんど知覚できないと思います。

右手も然りで、肩や肘や手に力が入っていると、弓と弦の接点の感覚なぞほとんど感じることができなくなってしまいます。

こうした逆の視点から、脱力を捉えてみるのも、たまには良いのではないでしょうか。。。
# by violink | 2005-10-17 21:57 | Relaxation | Comments(8)

<番外編>B'zを聴いて

僕は基本的にクラシックしか聴かない人間です。まあ、時にジャズは聴きますが。
そんな人間がなぜB'zなんですかね、と自問しても始まりませんが、とにかく今日は、B'zをしっかり聴くシチュエーションがありました。

聴きながら感じたのは、心地よい眩暈というか、世界が時々角度を変えるような、そのたびに心地よい陶酔が訪れるというか。

僕はクラシック音楽を聴くときは、初めて聴くときには和声進行の予測をしながら聴いています。そして、その予測は当たりやすい作曲家とそうでない作曲家がいます。

ベートーヴェンやモーツァルトは予測しやすいですが、シューベルトはそうでもない。
マーラーは予測しやすい部分と予測不可能な部分が混在していて、プロコフィエフに至っては予測がほとんど当たらない、という感じでしょうか。

そしてB'zです。初めて聴く曲が多くて、和声進行の予測をしながら聴いていると、ある程度予想通りに進んでから、あるときフッと止まって、次の瞬間に予想もしない展開へとつながっていく、というような箇所が随所にあって、心地よい眩暈の原因となりました。

これはこれで、とても新鮮な感覚なのですが、ふとクラシックの世界に思考を戻すと、クラシックの作品も、作曲当時としては、そのような「心地よい眩暈」を感じながら聴いていた人も多かったのではないかと想像します。

僕たちが生きる現代は、音の刺激にあふれており、もはや作曲当時の刺激程度では、何も感じなくなってしまっているのかも知れませんが、ここで少しだけ自分の感覚をレトロな方向に戻してやることで、普段はなんとはなしに流している作品の中に、新鮮な驚きが見つかるのではないか、と思ったりしたんですね。

何というか、結局、B'zと全然関係ない話に戻ってきてしまいました。
# by violink | 2005-10-10 22:48 | Others | Comments(0)

画家と演奏家

僕は常々、演奏家は画家と似ていると思っています。

その心は、自分が表現したいことを表現し、表現したところで完結し、
それに対する人の評価は、結果としてついてくるだけだということですね。

もちろん、表現したいことだったら何でもいいのか?という疑問はあります。
自分本位な表現、その意味で人に受け入れられない表現というものは、
確かにあると思います。

でも、本当に自分が表現ということを真剣に考えているのであれば、
自分の中で自然に、人に対するメッセージとしての表現、それから、作曲家が
表現しようとしたこと、という要素が入ってくるのではないかと思うんですね。

だからこそ、画家が真剣に自分を表現した作品が人に受け入れられなかったとき、
画家は落ち込み悩むのだと思います。

それでも、やはり自分の表現をしていくしかない、というところに、
結局は立ち戻るのだと思います。

そういう突き詰まったところにある自分の表現というものを見つける「旅」を、
これからも続けていきたいと思っています。
# by violink | 2005-10-10 09:25 | Others | Comments(3)

演奏の説得力

言葉の説得力を左右するものは、ロジックであり真剣度であると思います。ただし、これらは両方が揃って初めて説得力があるというのではなく、それぞれにある種の説得力を醸し出すのだと思います。

カミソリのように切れるロジックで話されても、地に足の付いていない話であれば、「理屈はそうかも知れないけどさ。。。」という印象を持つかも知れませんし、ロジックはたどたどしくても、相手を見据えて力強く語られれば、その語る内容に圧倒されることにもなるでしょう。

演奏ということについても、説得力のある演奏とそうでない演奏というものがあって、それらを分けるものは、音楽の構成力と演奏者の姿勢であるように思います。弾くこと自体が楽しい、、、ということは結構なことだと思うのですが、弾くことを通じて何を表現しようとしているのか、さらには、自分にとって弾くことはどういう意味を持つのか、という問題提起の前には、極めてちっぽけなものになってしまいます。

本当の意味でのプロとアマチュアの違いは、こうした大きな問題提起を自分に向けながら演奏する人と、弾くこと自体が楽しいから弾く人、の違いだと思います。良し悪しではないのですが、こうした違いに意識を向けると、自分にとって聴く価値・知る価値のある演奏とそうでない演奏とが峻別できるようになると思います。

そして、演奏の持つ説得力とは一体どこから生まれてくるものなのか、ということについて、自分なりの見解が生まれると思いますし、その見解にしたがって、自分に対して訴えかけてくる演奏というものもまた、よく見えてくると思います。そして、その人の音楽体験をますます充実したものにしてくれると、僕は思っています、というか信じています。
# by violink | 2005-10-06 18:24 | Interpretation | Comments(0)

ダイナミック・レンジを広げるには

ダイナミック・レンジというと、音量の大小という連想をする人が多いと思います。しかし、ダイナミックであること、すなわち、音量が大きいことではないですね。音量が小さくてもダイナミックな音って、あると思うんですね。

バイオリンは小さな箱を鳴らしているので、音量を追求してもたかが知れています。その中で、どこまで大胆に力強い表現をしていくか。。。そこで、ダイナミックな音を追求していくことになります。一言で言えば、音の雰囲気の「差」でしょうか。

自分の演奏を録音して聞いてみるとよく思うことなのですが、ピアニッシモがピアニッシモらしくないとか、フォルテとピアノの差がついていないということがよくあります。そんなときに、巨匠と言われる人の演奏を聴いてみると、自分が思っていたほど激しいフォルテではないのに、確かにフォルテらしい力強い表現になっている、、、と感じることがよくあります。

何が違うのかと言えば、それはピアニッシモの響きの違いなのだと思います。楽器がきちんと鳴っていてしかも静かな音である、というのが、僕なりのピアニッシモの捉え方です。静かな音としてきちんと聞こえることが重要で、これが疎かになりやすいと思うんですね。

逆に、楽器がきちんと鳴ってきて、どこまで静かさを聞かせられるかを研究してみると、案外、自分の耳元では落としすぎと思うような音でも、実はきちんと聞こえている、という経験が増えてくると思います。そうなると、静かなニュアンスが表現できる分だけ、そうでない音のニュアンスとの差が付きやすくなるんだと思いますね。

。。。というわけで、ダイナミック・レンジを広げるには、音量ということではなく、音のニュアンスを広げるという捉え方がよいように思うんですね。
# by violink | 2005-10-05 18:59 | Expression | Comments(4)

メロディーのイメージの捉え方

スプリング・ソナタの第1楽章の冒頭と言えば、曲名を知らない人でもメロディーを知っている人は多いでしょう。楽譜を開いて、この一節を目の前にして、さてどう弾こうかな。。。と考えているシーンを想像してみてください。皆さんは何をしますか? それを想像してみてください。

僕がまず最初にすることは、和声の進行を把握することです。そこからこのメロディーの基本的な「色合い」が見えてくると思います。その上で、個々の和声が基音の上に乗ったものか、転回したものかを見ていきます。それによって、「地に足の付いた」雰囲気を持った部分なのか、上向き・下向きに動こうとしている部分なのか、ということを感じ取っていきます。

これだけのことをすると、このメロディーの歌い方のイメージが自分の中に沸いてきます。尤も、ピアノの伴奏型とか、メロディー自体の形とか、これ以外にもヒントはいくらでもあります。宝探しのような感覚でこういうものを観察していくと、さらに閃きがあったりしますね。

それから、そのイメージを効果的に伝える方法を考えていきます。音程を高め・低めにとるとか、ある音を少し強調気味にするとか、テンポをここで微妙に変えるとか、そういうアイディアが閃いてきます。そのときに、言葉に置き換えて、人に話しかけるような気持ちでやると、自然な感じに仕上がって来ますね。(実際に具体的な言葉に置き換えるわけではないのですが。。。)

ここまでは、実は楽器を持たなくても出来ることなので、歩きながら、電車で吊り皮につかまりながら、喫茶店で窓の外を眺めながら、いろいろなときにやっています。

その準備として必要なことは、楽譜が頭に入っているか、楽譜を常に携帯することだと思います。僕の場合は、楽譜が頭に入るまでは、楽譜そのものかその縮小コピーをよく持ち歩いていました。とは言っても、CDも聴いていますので、そちらから覚えていく部分もありますね。

逆に、自分がやりたいと思った表現を、たまたまCDを聞いて発見することができたときなどは、一種の達成感というか満足感というかがありますね。

いずれにせよ、美味しいモノに舌が慣れてくると、不味いモノが食べられなくなるように、「美味しい」表現で「舌」を肥やしたいものだと思いますね。。。
# by violink | 2005-10-04 07:07 | Interpretation | Comments(0)

弾き方と聞こえ方

あるフレーズを歌おうとするとき、誰もが考えることの一つに、テンポを揺らすことがあると思います。「揺らす」というのが曲者で、テンポを揺らしてはいけないのだと思っています。それでも、CDを聞くと、インテンポとは言えないケースがあると思います。あれをどう理解すれば良いのでしょうか。

「テンポを揺らす」のと「テンポが揺れる」のとでは、意味合いが全く違うのだと、僕は思っています。「テンポが揺れる」のは、揺れる理由があるからで、「テンポを揺らす」のは、揺らしているからに過ぎないのですね。

音楽的な意味を考えるとき、揺れる理由があって「テンポが揺れる」必要があるのだと思います。CDを聞くときに、そのような感覚を持ちながら聞くようにすると、演奏家の意図ひいては作曲家の意図(と自分に思えるもの)が見えてくると思います。

現象だけ捉えれば、揺れているテンポに注意が向きやすいのは仕方がないとして、どう揺れているかに気持ちが向きすぎると、何故揺れているのかが疎かになると思います。

実は、テンポが揺れているのではなく、その特定の一音を強調したくて、そのためにその音のところだけ微妙に長く弾いているのだ。。。ということもあるかも知れません。そして、その音を強調して聴かせることには、音楽的な意味合いが潜んでいるかも知れません。

理屈ばかりこねていてもつまらないですが、テンポの揺れが、楽譜に書かれた音符に込められた作曲家の意図を反映しようと演奏家がした結果なのだ、と考えるなら、やはり、テンポの揺れを単に現象として捉えてコピーするのではなく、その背後にある意図に思いを馳せてみることに意味があるのではないかと思っています。
# by violink | 2005-10-04 01:52 | Tempo | Comments(0)

フレージングとは。。。

フレーズがつながらない。。。という悩みはよく聞きますが、フレーズがつながりすぎている。。。という話はあまり聞きませんね。ところが、フレーズがフレーズらしくあるためには、「つながりすぎ」は「つながらなさすぎ」に負けず劣らず、厄介な問題だと思います。

まず、自分でそのフレーズを歌ってみるときにどのように歌うか、というところからスタートするのが分かりやすいと、僕は思います。「ラララ」とか「タララ」とか、子音の使い分けでフレーズの途中の小さな区切りを意識しながら歌ってみることが大切だと思います。(どんな子音を使うかは、各人のセンスでしょう。)

その上で、楽器の上で同じように小さな区切りを意識しながら弾いてみるのですが、ここでは、さっきは口で歌うときに子音を使い分けたのを、音の出方で弾き分けていくわけですね。

そういう音の出だしのニュアンスがいくつか用意できれば、それだけでも、そのフレーズの表情が豊かになると思います。また、そういうことが自分で意識できれば、CDなどで人の演奏を聴いたときにも、フレーズの中の小さな音の区切りのようなものを、より明確に聞き取れると思いますね。そして、自分の演奏に貴重な示唆を与えてくれるものと思います。
# by violink | 2005-09-30 21:32 | Phrasing | Comments(0)

テンポの表情

演奏が生き生きとしたものになっているとき、大抵はテンポ自体が一定の枠の中で自由自在に変化していますね。これは、テンポが伸縮しているというのではなく、流れとしてはインテンポであっても、その中でメリハリがついているということだと思います。

そのメリハリがメリハリとして聞こえるためには、テンポをどう動かしているのか、ということについて自分なりの考え方がしっかりしている必要があるのだと思います。

ここでいうテンポの変化を直感的に感じるには、本当にインテンポ(=メトロノームのような正確さ)で演奏されたものと比較するに限ります。なかなかそういう録音を聴くことはないものですが、一様なテンポで演奏すると非常に退屈な雰囲気になるものです。

逆に言えば、音型の方にテンポの作り方のヒントがあるのだと思います。自分の好きな曲を、自分の頭の中で完全に近いインテンポで「演奏」してみて、その後で、もう少し自然な流れに雰囲気を変えて「演奏」してみると、それらの間にはテンポ設定という点だけをとってみても、相当な違いがあることに気が付くと思います。

この作業は推敲の積み重ねの作業で、「ちょっと間延びしているな」とか「ちょっとせっかちだな」とか感じながら、テンポの「微調整」をする中で、自分なりにピタッとくるテンポの感じがみえてくると思います。そこまで行ってから、自分がどんなテンポ設定をしたのか、と振り返ってみると、逆にそこから自分がテンポを揺らすことで表現しようとしたものがはっきりみえたりもします。

自分の演奏を聴く相手に、そのようなテンポ変化の意図まで伝えようとするのであれば、こういう意識化の作業は避けて通れないと思いますね。
# by violink | 2005-09-30 21:02 | Tempo | Comments(1)

弾き出した瞬間の「音圧」について

長い間、「音の立ち上がりのクリアさ」としてイメージしてきた、弾き出した瞬間の音のイメージですが、最近は、「響きを持った音」とか「音圧」というイメージで捉えた方がしっくり来るように感じています。

音が立ち上がる瞬間が大切なのは、その瞬間からきちんと音が始まる必要があるからで、その「始まった音」のクォリティこそが重要だということに気づいたからだと思います。これも、先日のメモでご紹介したタイムドメインのスピーカーから出てくる音を聴いたことによる部分が大きいです。

弾き出した瞬間から音にエネルギーを持っていることによって、遠くまで何を弾いているのか、細かいところまできちんと届いて聞こえるのだと思います。そういう音のイメージを持ちながら、弾き出す瞬間に神経を集中するようにすると、上手く行ったかどうかが瞬時に分かるようになりますし、その結果として、実際に上手く行くことも多くなるだろうと思いますね。この点は、往年のジュリアード音楽院の名教授であったガラミアン氏の言う「批判力を持つ耳が重要だ」という話とオーバーラップする部分があると思います。

まあ、「楽器が良く鳴っている」というのも、要は、これと同じことを言っているのかも知れませんが、案外分かったようで分かりにくい表現なので、別のキーワードを使ってみました。
# by violink | 2005-09-27 10:18 | Sound | Comments(2)

外向きの音 vs 内向きの音

誰でも、自分の感情が人に向かっていると思うことや、逆に、自分の内側に向かっていると感じることがあると思います。そういう感情を音で表現しようとするとき、それは、外向きの音や内向きの音で表現することになるのだと思います。

この外向き、内向きのニュアンスは、ダイナミクスとも違い、また、明るさ暗さとも違うものです。向きが違うだけで、ダイナミクスは一緒かも知れませんし、いずれも明るい(暗い)ニュアンスだったりもします。

この「音の向き」のようなものをどうやって表現するか、、、そのヒントになると僕が思っていることは、指板寄りのところの弾き方です。駒寄りと比べて、指板寄りのところは、弓に重みを乗せると音がつぶれやすいことは、やってみればすぐに分かることですが、そんな中で、音がつぶれるつぶれないのギリギリのところでコントロールしてみると、独特の抑制の利いた内なるエネルギーを秘めた感じの音がすると思うのですね。

駒寄りの音のエネルギーが外向きだとすれば、この指板寄りの音は内向きのエネルギーを表現しているように、僕には感じられます。このニュアンスを自分の表現のパレットに最近加えつつあります。

こんなことも含めて、自分の楽器を相手に、どんなことをすればどんなニュアンスの音がするのか、時間のあるときにいろいろ試してみると、音のパレットを豊かにすることに役立つと思っています。。。
# by violink | 2005-09-25 22:00 | Sound | Comments(4)

<番外編>匿名性のない音楽(その2)

有楽町のHMVで何気なく手に取り、試聴したCDです。。。

最近人気の「のだめカンタービレ」のメインキャラクターである千秋真一とその仲間たち、R☆S(ライジングスター)オーケストラが、何と、ブラームス交響曲第一番をレコーディングしたのだそうで。架空の指揮者とオーケストラじゃないですかー、と思うとともに、実際は誰が演奏しているのかなー、と。

演奏内容はすがすがしく爽やか。ただし、やや無機的な感じです。水に喩えるならば、ミネラルウォーターというよりは電解還元水ですかね。。。どこまでも毒気のないブラームスでした。

カップリングで収録されているドヴォルザークの交響曲第8番の第1楽章が、これまた面白いですねー。スコアをいじった間違い探し用の演奏とスプラフォン版に基づく演奏が入っていて、比較してみると面白いと思います。間違い探し用は、やはりどことなく違和感ありです。

僕は常々、こういう間違い探しというか、和声進行をわざと変えたような演奏がいろいろな曲で出てくるといいのになー、と思っているもので。。。今回これに出会えて大変幸せでしたー。

さて、文体も元に戻して本題です。。。

このCD、実際の演奏者は明らかにされていないものの、架空の演奏者はしっかりと明示されていて、そこに匿名性のない音楽の新たな一面を発見したんですね。逆に言えば、架空の演奏者を立てて、そのキャラクターをハッキリ打ち出した上で、そのキャラクターを生かした演奏を、その架空の演奏者の演奏として世に出す。。。というのは、大変面白い試みだと思うんですね。演奏者自身が自分により身近なものになるからです。

自分がその人となりをよく知っている演奏者の演奏を聴くような感覚に、ふと囚われるところが面白いと思いました。匿名性のない音楽の性格を逆に利用したと言えるかも知れませんね。
# by violink | 2005-09-24 12:42 | Others | Comments(2)

<番外編>画家と演奏家の視点

昨日、練馬区立美術館へ、佐伯祐三という画家の展示会を見に行ってきました。大正から昭和初期に主にパリで制作に励み、30歳という短命で世を去った僕の大好きな画家です。その佐伯祐三の作品が約140点も集まる展示会は、東京では27年ぶりだそうです。

その作品群の中に、パリのノートルダム寺院を題材として、一日のいろいろな時間帯に同じ場所を描いたものがありました。そこで、モネがルーアンのノートルダム大聖堂を一日のいろいろな時間帯に描いたものをふと思い出しました。二人の描いた対象は違うにせよ、建物自体よりも光の違いこそが共通のテーマだったのではないか、と思いました。

言うまでもなく、我々が見ている色は、大抵の場合は光の反射を見ているわけですから、画家の描く絵の根底に、光というものに対する意識があっても当然だと思います。その光の移り変わりを描いたといわれるモネの上述の作品を見たときには、光という我々が見るものの根底にあるものをテーマとしていたことに、僕自身、少なからぬ衝撃を覚えたものですが、今回また同じ経験をすることになりました。

さて、画家にとっては光、演奏家にとっては。。。? それは音自体が持っているコクというか味というか輝きであろうと、僕は思います。明るい音とか暗い音とか、いろいろなニュアンスの音がある中で、無味乾燥ではない音というと淋しくなりますが、そうではない音、作曲家が自分の作品を作るときに自分のイメージの中で鳴らしていたであろう実のある音、そういう音を表現するのが、演奏家冥利に尽きることではないかと想像します。

色が多種多様であるように、音も多種多様です。そして、色が色であるためには光が必要であるように、音が音であるために必要な何かがあるのだと思います。そしてそれは、色ほど自然に得られるものでなく、やはり演奏家が作っていかなければいけないものなのだと思います。

こう思いを巡らすと、色から音、音から味や香りと、話がどんどん広がって行きそうですので、今回はひとまずこの辺でペンを置く(?)ことにしたいと思います。。。
# by violink | 2005-09-24 07:19 | Others | Comments(4)

弓を返した直後の音の立ち上がり

楽器をきちんと鳴らすためには、弾き出すときに音をきちんと立ち上げる必要があることは、以前のメモでも書いたと思いますが、その「音の立ち上げ」について、初めて弓を置いて弾く音と、弓を返して弾く音とでは、多少違うイメージで捉える必要があると思っています。

それは、弓を返した直後の音を弾くときは、楽器は既に振動しているので、初めて弾き出す音のときほど、立ち上げに苦労する必要がないはずだということです。更に言えば、立ち上げに苦労するとすれば、それは弓を返すときに楽器の響きを殺してしまっている可能性があると思います。

特に、スラーのフレーズが上手くつながらないような場合、弓を返した直後の音の立ち上げが上手くいっていない可能性があると思います。それは、楽器の響きを殺してしまっているか、あるいは、響きを殺してはいないもののことさらにアタックをつけてしまっているかのどちらかだと思います。

前の音できちんと鳴っているその楽器の振動を上手く引き継ぐ、というイメージでやると上手く行きやすいと思いますね。尤も、そのためには前の音がきちんと鳴っていなければいけませんが。。。(笑)
# by violink | 2005-09-24 06:57 | Bowing | Comments(0)

<告白編>匿名性のない音楽

ITが発達して、ネットでのコミュニケーションが普通になる中で、1軒のショップが相手にする客の数は膨大になり、見知らぬ人同士のやりとりも活発になっている世の中であっても、音楽の世界は、スポーツなどと同様、コンテンツがITによって影響を受けない世界の一つだと思っています。

マルチメディアの時代になっても、ブログが発達しても、僕たちが求めるのは、ある演奏家によるある楽器の演奏であり、それはある日ある時、その瞬間だけになされるものですね。均質なサービスとはほど遠く、また、演奏者の方はインタラクティブな感覚でコンサートに臨んでも、聴く僕たちの方は一方的に受け取りに行く世界。

誰が弾く何の曲なのか、それを明確に把握してからコンサートに出掛け、CDを購入する匿名性のない世界。同じ曲の演奏を別の演奏者で聴こうとするのが、「繰り返し」と思わない世界。それは、演奏者毎の演奏の違いを善し悪しでなく、多様性として受け取ることが自然に出来ているということなのでしょう。

人それぞれ個性があり、だからこそ、時にはぶつかり傷つく。。。という当たり前の人間関係が、心地よくない人間関係は避ける、という方向に向かってしまっている現代に生きる人間の一人として、音楽を聴くことで人間の多様性を連想するのは僕だけでしょうか。。。

そして、顧客本位のマーケティングがこれだけ普通になった世の中で、顧客(お金を払う)がお店(演奏者)に対して、尊敬を、憧れを、そして時には畏敬の念を抱きながら、サービス(演奏)の提供を受ける数少ない世界の一つなのだろうと思います。

ともすれば希薄となり、また失いがちなものに、音楽の世界に生きる中で曲がりなりにも自分自身をつなぎ止めておきたい、と感じる今日この頃。そして、音楽の世界は、人間の本来の何かを取り戻すきっかけを与えてくれるものと信じてもいて。

人間、失うということは一瞬に起こるとは限らない。むしろ、実は徐々に失うからこそ、失い切るまで気づず、気づいたときには時すでに遅し、ということが多い。そういう自分も無意識のうちに何かを失いつつあるに違いない。。。(笑)
# by violink | 2005-09-19 07:36 | Others | Comments(2)

<番外編>スピーカーの違い

最近、人に勧められて購入したスピーカーでCDを聞くようになってから、CDを聞く頻度が大幅に増えました。というのも、そのスピーカーから出てくる音がリアルで、まるでその場で演奏しているような音を聞かされているからなのです。

タイムドメインという日本のメーカーが作っている小型・廉価なスピーカー(左右ペアで2万円でお釣りがきます。)で、iPodに接続すればちょうどいいような大きさ、デザインなのですが、その小型スピーカーがCDから送られてくる信号を全身でしっかり受け止めて、自ら振動して送り出してくる音に、衝撃を受けました。

音というものはエネルギーの塊であって、フォルテとは、大きい音ではなく力強い音だということが、理屈でなく聞こえてくるんですね。それはまさに、ライブでしか味わえないものだったと思います。音の解像度のような概念を超えた、実際の演奏の「再現」というのではなく、まさに、その場で演奏が繰り広げられているような錯覚に捉われるほどでした。

音に対する自分のセンスを磨いていくために、こういうスピーカーで名演奏を聴き続けたら、さぞかし勉強になるだろうと思いました。

どうやら、スピーカー製作の世界にも、「音作り」ということがありそうですね。。。
# by violink | 2005-09-11 15:01 | Others | Comments(9)

<番外編>バイオリンに求めるもの

今回のタイトル、とても漠然としていますが、実はわざとそうしたんですね。。。

バイオリンに求めるもの、、、音でしょうか、それとも優雅な演奏姿でしょうか。
それとも。。。インテリアとして、美術品として、先祖代々伝わるお宝として。。。

過去450年以上にわたって、多くの人々が、様々な思いを抱きながら、
バイオリンという楽器に触れ、バイオリンを受け継いできました。

そういう歴史の途中に、僕たちが存在します。巨匠イブリ・ギトリスの言葉だったでしょうか、「我々が担っているのは、バイオリンの長い長い一生のごく一部でしかない。」

子供の頃に、ふと考えたことがあります。
今、この瞬間、自分がタイム・マシーンに乗ったとして、
時間が逆戻りを始めたとしたら、、、

自分の周りのものがどんどん消えていき、自分が消えて、周囲の環境がどんどん変わっていくのに、バイオリンはそのまま残っているという光景。。。古いイタリアの楽器であれば、メディチ家の応接間にたどり着くかも知れません。そして、アルプスの森の中の一本の木へと戻っていくのかも知れません。

そんなことを想像しながらバイオリンと向き合っている時間が、何と楽しかったことか。。。残念ながら、その楽しさを共有する相手が、子供の頃の僕にはいませんでしたが。。。

大人になって思考が現実化すると、楽器のケースを開けるのは弾くときだけになってきます。弾くことに気持ちが焦って向かっている。。。と思うことが、自分でも時々あります。でも、たまには、楽器そのものと向き合う時間が欲しいですね。

昔見たビデオで、ハイフェッツが楽器をケースから取り出すシーンを、今でもよく覚えています。ダブル・ケースの中に、シルクの袋に収められた2つの楽器。そのうちの一方の楽器を取り出して、その裏板をしげしげと眺めるハイフェッツ。。。

みなさんは、隅から隅まで、自分の楽器のことを知っていますか?形、色合い、大きさ、などなど。。。機会があれば、楽器ケースを開けてから、しばらく楽器を眺めてみては如何でしょう。何か感じると思います。。。

いわゆるコレクターと呼ばれる人たちは、その「何かを感じる人たち」の代表選手なのかも知れませんね。。。
# by violink | 2005-09-06 21:14 | Others | Comments(1)

疎遠なるテクニック

ピチカートと言えば、右手で弦を弾く(はじく)やつですね。。。と言い切ってしまいたいところですが、今回のテーマは左手のピチカートです。

アマチュアのプレイヤーにとって、左手のピチカートは、一弓連続スタッカート(特にダウンの)と並んで、疎遠なるテクニックの代表選手のようなものですね。そもそも、このようなテクニックがお目見えする曲をまともに弾く(=人前で演奏する)機会など、皆無に近いかも知れません。

多少練習をした程度では、とても歯が立ちませんし、ましてや、優雅にやり遂げるとなると、不可能に近いかも知れません。。。それくらい、左手のピチカートは難しいのです。

なぜ難しいのか。。。それは、僕が思うには、左手のピチカートでの左手指の動き方は、日常生活ではもちろん、通常のバイオリン演奏の中でもなかなか出てこない動きであり、要するに、訓練されていない動き方だからだと思います。

訓練されていない。。。という大変なハンディキャップがあるから弾けないのであって、このハンディキャップを乗り越えれば弾けるようになる。。。と、取りあえず頭では理解しておくことにします。じゃあ、どう訓練すれば弾けるようになるんだろうか。。。と、至極当然のハテナが生じますよね。

私なりにアイディアはあるのですが、それをここで書いてしまってもつまらないので、オープン・クエスチョンにしておきます。皆さんもいろいろ試してみて下さい。そもそも指が動かん、ということもあるでしょうが、徐々に慣れてくるものです。余分な力を入れないことが肝要です。それからもう一つ、ツメをきちんと切ってから練習しましょう。特に、左手のピチカートではツメが邪魔になりますので。。。

では、アマチュアのVirtuosoを目指しての旅立ちを祝して、本日はこの辺で。
# by violink | 2005-09-06 19:30 | Pizzicato | Comments(2)

事務連絡です。。。

僕がかつて作っていたブログで、「音楽という言葉」というものがありました。このブログのコンセプトは、下記のとおりです。

***

楽器を演奏する人が楽譜から何を読み取って演奏するのか...の「何」に当たるものを探していくためのヒント・手がかりになりそうなことを、思いつくままに書いていきます。あくまで私見ですので、様々な異論があってよいと思います。

その際、譜面に書いてある情報をそのまま音にするということでなく、作曲家がどうしてその音をその響きを選んだのか、ということに自分なりに答を出しながら書いていきたいと思います。

2つだけ補足したいと思います。

第一に、このブログでは音楽表現を取り扱っていますが、どう表現すべきかの手がかりを、全て音と響きに求めています。楽譜に現れてこない時代背景のようなものを勉強する時間がないことと、音楽は結局のところ音と響きとして表現されるものであることを考えると、こうしたアプローチが現在の私には妥当だと思えるからです。作曲家が他でもないこの音とこの響きとを選んだことについて、どんな意図からそうしたのかを自分なりに感じながら、音楽表現について書いてみるつもりです。

第二に、音と響きに注目するからには、聴き手に自分の表現の意図が伝わることが大切だと考えています。その意味で、作曲家がこういう意図をもってこの音と響きを選んだのだとすれば、その意図を聴き手にきちんと伝えるにはどのように表現すべきなのか、というところまで、ゆくゆくは踏み込んで行きたいと思っています。

***

さて、僕は、これら2つのブログを作ってきましたが、内容上、密接不可分であることもあり、「音楽という言葉」に載せてもよいメモを、violinkの方でアップすることも増えてきました。

そこで、思い切って、「音楽という言葉」の内容をすべて、こちらに移植することにしました。カテゴリーの「interpretation」をクリックすると現れるメモのうち、タイトルに<音楽という言葉>が付いているものがそれです。

自分で読み返しても意味不明のところなどもありますが、過去の事実として、敢えて直さずにそのまま持ってきています。violinkの世界を知っていただくには、役に立つと思いますが。。。
# by violink | 2005-08-26 09:30 | Introduction | Comments(4)

拍子感覚とリズムの感じ方

耳から音を覚えて、それが気に入って、自分でも弾こうと思い立ち楽譜を手に入れる。。。という順序で、新しい曲と出会うことってありますよね。

耳から聞いてメロディーを覚えている段階では、自分なりに拍子を感じていて、それを基にして「譜割り」のような感覚を持っていると思います。そして、実際に楽譜を見たときに、多かれ少なかれ、自分の拍子感覚との違いを見せ付けられるわけですね。

この事実はよく知られたことですし、耳から覚えて練習することの問題点として指摘されることもあります。メソッド自体の良し悪しの議論にまで発展する場合もあるでしょう。

確かに、楽譜は作曲者が残した全情報であり、その情報を掴み取らずに演奏するのはよくないと、僕も思います。が、楽譜の内容を鵜呑みにするのでは、表現できるものの幅も狭まってしまうと思います。

楽譜の内容を鵜呑みにする、、、とは何を言いたいのかというと、たとえば拍子感覚です。耳から聞いたときには4分の2拍子だと思っていたものが、楽譜を見ると8分の6拍子だった、などという経験は、楽器を演奏する人にとっては日常茶飯事だと思います。そこで、直ちに自分の感覚を訂正するのもいいですが、しばし、自分の感覚と作曲家が譜面に残したものとのギャップを楽しんでみるのも面白いものです。

そもそも、作曲家自身、どの拍子にするか推敲を重ねた挙句にやっとたどり着いた結論だけしか、楽譜には書かれていないのかも知れないですし。

さて、話を戻すと、たとえば、クライスラー作曲の「愛の喜び」。あの曲は3拍子系ですが、2拍子系で割ってみることも可能ですね。そして、拍子の感じ方を変えると、リズム感覚が変わるので、出てくる音の軽さ重さのようなニュアンスにもつながってきます。僕などは、この曲は、パーツによって拍子のとり方を多少変えてみたりします。それによって躍動感をより感じることができるので。。。

「愛の喜び」は、僕がいろいろな演奏を聞いた曲の中でも、特に、ひとつひとつのリズムの捉え方、音の軽さ重さなどなどの表現が、演奏者によって相当違う曲の一つです。つまらない演奏から非常に面白い演奏までの触れ幅が非常に大きいですね。何がその演奏を面白くしているのか、そのベースには弾く人がどんな拍子感覚でその曲を感じているか。。。ということがあると思っています。
# by violink | 2005-08-25 06:10 | Rhythm | Comments(4)

良い音はどこから~音のパレットを広げるために

一流の演奏家の生の音を聞いたことがありますか?

生の音というのは、聞こえてくる音ではなくて、楽器から出ている音のことです。コンサートホールで聞く音は聞こえてくる音です。まず、楽器から相当離れていますし、ホールの残響音も入っています。楽器のすぐそばにマイクを置いて録音したCDでは、時々、楽器から出ている音が聞こえることがあります。

彼らの音にあって僕の音にないもの。。。それは、一言で言えば、音の輝きでありコクであり、音の雰囲気であり迫力です。そこで、「やはり名器は音が違う」などと、ため息をついたりします。

しかし、名器でないなりに自分の楽器を使いこなして初めて吐くことが許されるセリフを、いとも簡単に吐いているケースが多いのだと思います。

自分の楽器を使いこなすための基本は、音の出し方にあると僕は思います。そして、音の出し方の基本は、駒寄りの部分をいかに使いこなせるかにあると思っています。それほど、駒寄りのところでしっかりとした音を出すことに、無頓着になりやすいのです。

確かに、駒寄りのところは、ボウイングの3要素(重さ、速さ、弾く場所)の条件がきちんと揃わないと、そもそも音がかすれてしまいます。(指板寄りでは、そこまで露骨な音の失敗はありません。)当然、弾き出しの瞬間が上手くいかない可能性も高く、ボウイングのコントロールが特に求められる場所と言えます。

駒寄りの部分を意識的に使っていって、楽器をそういう弾き方で慣らしていくことによって、指板寄りの部分の音も改善されて、ふくらみがあって柔らかく、しかも通る音が出しやすくなってきます。これが音のパレットを広げることにつながるんですね。

ダイナミクスのコントロールという面でのみ捉えがちな、「弓でこする場所(駒寄り~指板寄り)」を、音色の変化を持たせるための弾き方という面から捉え直すことが、音のパレットを広げるきっかけになると思います。
# by violink | 2005-08-23 06:16 | Sound | Comments(3)

<番外編>老巨匠のピアノ演奏

HMVでたまたま目にし、試聴したCDですが、M.ホルショフスキーというピアニストのショパンの小品の演奏に心が震えました。

カザルスやシゲティの伴奏もした人で、このCDが録音された1987年(’カザルス・ホールでのライブ録音)には、既に95歳でした。その後、102歳で生涯を全うするまで現役を貫いたそうです。

僕は、この人の演奏を聴くこと自体がそもそも初めてだったんですが、95歳とはとても思えない力強い演奏に、まず圧倒されました。しかし、若者の演奏とは違う力強さを感じました。ピアノのキータッチが特にシャープというのではなく、メッセージの力強さだったんですね。

95歳の人の演奏というだけで、いろいろな思いがこみ上げてきます。もちろん、長年の演奏経験から来る成熟した音楽性というものもあります。でも、それだけでなく、世界大戦を2回も経験した世代の人間としての音楽との向き合い方、自分より遙かに若い世代のみを聴衆に迎えた演奏家の心境、驚異的なテクニックとはいえ本人的には衰えを感じているであろうその事実との向き合い方、、、などなど。

それにしても、お店で試聴しているわけですから、周りに人がいますし、試聴コーナーにはこれ以外のCDもいくつか置いてありますし、いろいろ雑音があるはずなのに、目は開けども周囲が全く目に入らないような心境で、ひたすらこの老巨匠の音の世界に集中していました。

ピアニストと呼び切るのがためらわれる、人生の大先輩からのメッセージとして、つまらないコメントをせずに、何も言わずに聴いているしかない迫力のようなものを感じさせる演奏に、本当に久しぶりに出会った気分です。

お金では買えない宝物を手に入れたような気分になりました。(買ってはいないのですが。。。)
# by violink | 2005-08-22 08:16 | Others | Comments(0)