作者自身の頭の整理のためのメモです。その時々の思いを綴っていきますので、過去記事と内容の重なりがあるかも知れません。(リンク・フリーです。) Photos in the articles: Courtesy of Tarisio Auctions
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<音楽という言葉>作品に表れた表現=「生」ということについて

音楽作品であれ、絵画であれ、文学作品であれ、およそ芸術作品と言われるものは、ある芸術家の感性の「ルール」に従って、音が、色が、言葉が並べられたものだと言えるでしょうか。そのルールを司っているのが、その生きた芸術家その人であり、まさにその芸術家が生きていることによって、ある並び方を持った音、色、言葉というものが生み出されてくるということでしょうか。

とすれば、そういった芸術作品が表現しようとしていることは、究極的には、個々の表現されたものを通じて、そのような表現を欲した芸術家が一人の人間として過去のある一時点において確かに存在したのだという、「生」の記録なのだと言えるでしょうか。

その昔、まだ現在ほど交通手段も通信手段も記録手段も発達していない頃、芸術作品を見る人々は芸術家その人のことを直接見聞きしたでしょうし、その芸術作品にその芸術家その人を見たに違いないと思うのです。そして、ある芸術家の亡き後は、その芸術作品を見るたびにその芸術家その人を偲んだと思うのです。

幸か不幸か、現代に生きる私たちは、芸術家その人と直接面識がない場合が大半ですし、面識があったとしても芸術家その人を知るというにはほど遠い状態で、芸術作品に表現されたものを音にしようとしています。その作業の中では、上に書いたようなことも含めて、自らの想像力をフル稼働させて補っていかなければならないものが余りにも多いのだと思うのです。そうして、そのような作業を経て、音を通じてその芸術作品を生み出した芸術家その人の「生」というものを伝え得るならば、それこそが芸術の深奥にある本当のテーマに根差した究極の演奏だとは言えないでしょうか。
by violink | 2004-08-20 08:59 | Interpretation
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